不吉を運ぶフネ? 戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」短命ながらも“The 疫病神”

建造中に起きた数々の不運

 しかし、王室に忠誠を誓う海軍軍人たち、中でも特に下士官兵にはこの命名を内心好ましく思っていなかった者も少なくなかったといいます。そしてこれが、本艦にまつわる「不運」の始まりとなりました。

 このあと、「プリンス・オブ・ウェールズ」を襲った最初のアクシデントは、建造していたリバプールのキャメル・レアード社バークンヘッド造船所が、第2次世界大戦の勃発によってドイツ軍の空襲を受けた際に起きました。このとき艤装中だった本艦は、至近弾を受けて大浸水を起こしたのです。加えて、頻繁に空襲を受けるリバプールと比べ、いくらか安全なスコットランドのロシス(ロサイス)へ向け、本艦を退避させるべく曳航して運ぼうとしたところ、知られていなかった砂洲に座礁。この事故で推進器4基のうち2基がダメージを負ってしまい、やむを得ず損傷した状態で回航されています。

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イギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の1番および2番主砲塔。イギリス海軍ではアルファベットの順番からそれぞれA砲塔、B砲塔と呼ぶ(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 ロシスに移動してからも、「プリンス・オブ・ウェールズ」は立て続けでアクシデントに見舞われました。艤装作業中にポンポン砲と呼ばれる多連装対空機関砲の点検をしたところ、突然暴発して工員が負傷する事故が起こったのです。また、ほかにも各部での作業中に工員が転落する事故が2回も起きました。さらに、なぜか同じB砲塔(2番主砲塔)で3回もボヤ騒ぎがありました。

 その後、就役して正式に海軍籍となってからも、不運が続きます。1941年5月のドイツ戦艦「ビスマルク」の追撃戦には、竣工したばかりであったため、一部分については工員を乗せ作業を続けながら参加。24日に起こったデンマーク海峡海戦では、「ビスマルク」が放った砲弾1発が艦橋を直撃し、艦長ジョン・リーチ大佐以下2名を除いて艦橋にいたほとんどの要員が戦死するという被害を出しています。たまたま受けた命中弾が艦橋を直撃というのは、まことに不運としか言いようがありません。

【写真】戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の様々なショット

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