不吉を運ぶフネ? 戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」短命ながらも“The 疫病神”

姉妹艦のなかでただ1隻のみ戦没

 なお、この海戦では「プリンス・オブ・ウェールズ」と行動を共にしていた巡洋戦艦「フッド」が轟沈しています。「フッド」は全乗組員1419名中、生存者わずか3名という惨事でしたが、この悲劇の原因として、縁起の悪い「プリンス・オブ・ウェールズ」が傍らにいたからだという噂が、まことしやかに囁かれました。

 結果、就役前の一連の事故なども加味され、「プリンス・オブ・ウェールズ」はついにイギリス軍人たちから一緒にいると災いをもたらされるとして、不吉を呼び寄せる人という意味の「ヨナ」というあだ名を付けられてしまったのです。

 そのため、同艦が巡洋戦艦「レパルス」と戦隊を組んで極東に派遣されることが決まると、「レパルス」の乗組員たちは「プリンス・オブ・ウェールズ」を疫病神扱いするようになりました。そして「レパルス」の乗員たちの思惑は的中することになります。

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1941年8月、極東へ派遣される前の「プリンス・オブ・ウェールズ」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 1941(昭和16)年12月10日、「プリンス・オブ・ウェールズ」は、マレー沖海戦において「レパルス」を道連れにして戦没。全部で5隻が就役したキング・ジョージ5世級戦艦中、ただ1隻沈んだ艦となったのでした。

 そしてこの海戦では、先の「ビスマルク」追撃戦で幸運に恵まれたリーチ艦長も、帰らぬ人となってしまいました。日本側にとってはイギリスが誇る新鋭戦艦を航空攻撃によって沈めたとして、とても有名であるこの海戦も、イギリス軍人、とくに巡洋戦艦「レパルス」の関係者にとっては“さもありなん”だった可能性もなくはないのです。

 1941(昭和16)年3月の就役から、たった約9か月という短命で深碧の淵に没した戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は、やはり「不運な船」だったといえるのかもしれません。

【了】

【写真】戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の様々なショット

Writer: 白石 光(戦史研究家)

東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。

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