38(t)戦車の皮肉 ナチス・ドイツを支えてしまったチェコスロバキア・クオリティ
優れた工業国だったチェコスロバキアの戦車とは?
チェコスロバキア、現在のチェコ共和国とスロバキア共和国は、かつて中欧に位置していた国で、かねてより優れた工業国でもあります。第2次世界大戦前の同国は、ドイツ、ポーランド、ソ連、ハンガリー、オーストリアなどに囲まれ地政学的にも不安定で、さらにはナチス・ドイツとは対立関係にあり、自国の安全保障は他国に頼れない状況でした。
そうしたなか、チェコスロバキアは戦車を自国で開発し、中戦車42両、軽戦車279両を4年かけて配備するという計画を立てます。同国の重工業メーカーであるCKD社はTNHP-Sという軽戦車を開発し、1938年(昭和13)年にLTvz.38として軍に採用されます。完成当時、主砲は37mm砲、車体および砲塔前面装甲は25mmと、軽戦車とはいえ充分な性能でした。ちなみに1935(昭和10)年に完成したドイツ軍の軽戦車であるII号戦車の主砲は20mm機関砲、前面装甲は15mmでした。
しかし1938年9月以降、チェコスロバキアは大国間の外交戦における生贄となって解体され、領土の大半をドイツに併合されてしまいます。本格生産に入ったLTvz.38は皮肉にもドイツ陸軍に納入され、そこで「Pzkpfw38(t)」と呼称されることになりました。このtはドイツ語でチェコを指すTschechischの頭文字であり、重さを表すものではありません。38(t)戦車の重さは10t足らずで、数字の38は制式化された1938年が由来です。ちなみに陸上自衛隊の74式戦車がちょうど38tです。
当時、各国戦車の足まわりは小型転輪を多数、並べるのが主流でしたが、LTvz.38は大型転輪4個という独特の形式でした、乗り心地はIII号戦車よりも良かったという証言が残っています。機械的にも信頼性が高くて稼働率もよく、イギリスもライセンス生産交渉を行っていたくらいでしたが、ドイツへの併合により実現しませんでした。
ドイツ以外には、枢軸国陣営のハンガリーやルーマニア、ブルガリアなど中欧諸国を中心に輸出され、スウェーデンではStrv m/41の名でライセンス生産し、戦後も改造されてPbv301兵員輸送車として1971(昭和46)年まで使われました。
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