38(t)戦車の皮肉 ナチス・ドイツを支えてしまったチェコスロバキア・クオリティ

軽くて速くて故障も少ない=「電撃戦」に最適という皮肉

 38(t)戦車は砲塔がふたり用で狭く、車長は砲手を兼ねるため指揮に専念できず、3人用砲塔のIII号戦車より操作性や戦闘力では劣っており、装甲板がリベット止めで被弾時にリベットが車内に飛び跳ね防御にも問題があるとの指摘がなされています。一方、軽量なため高速で動き回れ、故障も少ない信頼性の高さで電撃戦には最適な戦車でした。いわゆる強い戦車ではありませんが、現場部隊では頼りにされました。

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ソ連軍に鹵獲され再生作業が行われる38(t)戦車。ソ連軍も戦車不足に悩まされ、鹵獲した敵戦車を積極的に使っていた(画像:月刊PANZER編集部)。

 独ソ戦中盤以降になると、さすがに力不足となり第一線から引きますが、現場での評価もよかったためか1942(昭和17)年6月まで生産が続けられます。装甲列車に載せられたり、後方警備任務や自走砲などの派生型となったりして、終戦まで使われ続けました。

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装甲列車編成の戦車運搬車でのテスト中の38(t)戦車。装甲列車の先頭か最後尾に連結され、自走して乗降した(画像:月刊PANZER編集部)。

 38(t)戦車は、生まれたチェコスロバキアではなく、自国を併合したナチス・ドイツで一時期、機甲戦力の中核を担うという奇妙な運命をたどり、信頼性の高い使いやすい戦車として重宝されたという、図らずも歴史の皮肉を体現しています。さらには、大きな転輪4個という特徴的な外見が、ドイツ製戦車とは異なるルーツであることや、工業国チェコスロバキアの矜持といったものを主張しているようにも見えます。

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1941年5月ベルギーにおける第7装甲師団第25戦車連隊第2大隊所属の38(t)戦車カラー図(作画:遠藤 慧)。

 ちなみに大戦後期、よく似た足まわりのドイツ製軽駆逐戦車「ヘッツァー」が登場しますが、38(t)の車体上部を取り換えたわけではなく、転輪の大きさや起動輪の歯数も異なる別物で、派生型ではありません。

【了】

足まわりに注目 似ているけど別物「ヘッツァー」軽駆逐戦車

Writer: 月刊PANZER編集部

1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

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