「ひとりっ子空母」なぜ多い? 姉妹艦なき孤高の旧軍空母12隻 それぞれの事情

大和型戦艦3番艦「信濃」&重雷装重巡だったかもしれない「伊吹」

「信濃」は、1944(昭和19)年の就役当時、世界最大であった空母です。この艦は大和型戦艦の3番艦として計画・起工されたものの、ミッドウェー海戦の敗戦を受けて空母に改装され、就役しました。

 特徴は巨大な船体に裏打ちされた広大な飛行甲板とそこに施された装甲です。飛行甲板の幅は日本空母で最大となる40mあり、この広さを活用するために運用を左右で分け、一方には艦載機を駐機させつつ、もう片方で艦載機を発着させるという構想まで出たほどでした。また、そのような広大な飛行甲板は75mm厚の装甲が張られており、その下の中甲板にも100~190mm厚の装甲が施されたため、部位によっては大和型戦艦以上の水平防御を持つほどでした。

 搭載機数は常用42機、補用5機と大型空母としては少なめ。とはいえ、機体サイズが小型の零式艦上戦闘機(零戦)や艦上爆撃機「彗星」なら、艦内収容しない露天係止を含め86機まで搭載できたようです。ただ、「信濃」は一部未完成だったこともあり、敵であるアメリカ海軍の潜水艦に撃沈され、一度も実戦に参加せずに終わっています。

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旧日本海軍の空母「伊吹」(画像:アメリカ海軍)。

 一方、「伊吹」は最上型軽巡洋艦(後に重巡洋艦に変更)の改良型として計画されました。ベースの最上型よりも、魚雷発射管が強化される予定だったとのことで、最上型なら計12門、片舷6射線の魚雷発射に対して、「伊吹」は25門、片舷15射線を有していたそうです。これは「重雷装艦」として魚雷攻撃に特化した改装が施された、「大井」「北上」両軽巡洋艦の片舷20射線に近い数字といえるでしょう。

 主砲塔まで搭載し、重巡洋艦としてほぼ完成していた「伊吹」でしたが、1943(昭和18)年8月に空母改装が決定します。ただ、大戦後期に空母改装が始まったため、「伊吹」の空母化は戦争に間に合いませんでした。

 なお、空母「伊吹」は、搭載機数27機、29ノットと改装空母としては標準的なものでした。

【了】

【姉妹艦のいない「ひとりっ子空母」たちの勇姿を見る】

Writer: 安藤昌季(乗りものライター)

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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コメント

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4件のコメント

  1. 分かりやすい記事ですね。神鷹の醤油タンクは知りませんでした。ただ、伊吹と海鷹の写真が同じなので、海鷹が正しく、伊吹は違うと思います。

  2. 同じ艦型のものを何隻も建造する目的は何でしょうか。設計期間を省くことができるからでしょうか。プレス型や治具を共用できるからとは思えないので。

    • 当初戦艦等の場合隊列を組んで砲撃戦をする事が想定されていたため
      戦闘時の航行速度や主砲射程が同じ同型艦を揃えた艦隊編成が理想とされたからです。
      有名な日露戦争の対馬沖海戦や第一次世界大戦のユトランド(ジュトランド)沖海戦を調べれば、
      その必要性がよくわかると思います。

    • 設計を省けるのはものすごくコストと時間削減になるのでは。旧海軍は規格化や共通化がだいぶ下手くそで姉妹艦でも部品が違ったりとか普通にしたのでプレス型や治具はたしかにほとんど使い回してはない、でもゼロでもない。このクラスを何隻作りますと決めれれば調達や予算工面もやりやすかったはず。