潜水艦はいかにして「ミサイルのデパート」になったか 脇役から最重要兵器への超絶進化
海中のミサイル基地に生まれ変わった潜水艦
第2次世界大戦末期の1944(昭和19)年に、ドイツで巡航ミサイルの元祖といわれるV1飛行爆弾を捕獲したアメリカは、すぐさまV1をコピーしたJB-2「ルーン」ミサイルを開発。大戦後の1948(昭和23)年1月28日には、それを潜水艦「カスク」から発射するという実験を行っています。
ただ本格的な巡航ミサイルは、この次に開発された「レギュラス」でした。「レギュラス」は1951(昭和26)年から発射実験が行われ、1953(昭和28)年7月に潜水艦「タニー」からの洋上試射を成功させています。なお、当時はまだ船体内部にミサイルを収納することはできず、「JB-2」「レギュラス」とも甲板に増設されたコンテナーに収納する形でした。
ちなみに、「レギュラス」のルーツは日本の伊400型潜水艦といわれており、実際にアメリカは伊400が搭載していた水上機「晴嵐」の格納庫に関する密閉構造を参考にしていました。
一方、アメリカと覇を競っていた旧ソ連は、V2ロケットをベースに開発した「スカッド」ミサイルの改良型を潜水艦に搭載します。なお旧ソ連は1950年代後半に完成したズールー型潜水艦の船体内にランチャー(発射管)を内蔵することに成功。こうして世界初のSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)が誕生しています。
対するアメリカも、1970(昭和45)年に垂直発射式のランチャーから撃ち出す「ポラリス」ミサイルを実用化しました。こうして弾道ミサイルは船体へ垂直に収容されるようになっていった一方、巡航ミサイルはやがて魚雷発射管から撃ち出されるようになります。
なお、これらアメリカとソ連の弾道ミサイルは核爆弾を搭載していたことから、冷戦時代に潜水艦は核戦力の一翼を担うようになったまた、燃料補給なしにない無補給で長期間活動できる原子力潜水艦が登場すると、戦争の初期に地上基地が使用不能になっても生き残る確率が高いとして、核戦力の要となりました。
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