信州「高遠駅」無人化 70年前から鉄道なくても“駅” 背景にあった鉄道計画とは

長野県南信地方にある「高遠駅」の窓口が閉鎖し、無人化されます。といっても鉄道駅ではなく、バスの拠点としての「自動車駅」です。その裏には鉄道の敷設へ向け人々が汗を流した歴史があり、それが国鉄バス路線の開設へとつながりました。

戦後すぐのバス路線開業、その陰にあった「高遠電気軌道」計画

 高遠藩の城下町・高遠は三方を山に囲まれ、唯一開けた伊那方面の街の入口には、崖が迫る難所「鉾持桟道」(ほこじさんどう)が立ちふさがっていました。その険しさは、崖に細い桟道(除道)を張り出してようやく人を通すほど。高遠は石仏や建造物の加工を行う「高遠石工(いしく)」の拠点でもありましたが、この崖は全国を飛び回る石工の往来を妨げる存在でもありました。

 明治時代には、鉄道のルートから外れ衰退の危機に立たされた高遠に鉄道を通す構想が浮上しました。地元出身の実業家・黒河内一太郎の奔走によって、1921(大正10)年に「高遠電気軌道」が設立され、伊那電気鉄道(現・JR飯田線)伊那北駅から高遠までの敷設計画が発表されたのです。

 この鉄道に電気を供給するため、政治家・豊島恕平(とよしまじょへい)によって発電設備が整備され、配電事業者「高遠電灯」が営業を開始しました。同時に伊那北~高遠間の道路は鉄道を通すことを前提として、鉾持桟道やいくつかの急坂が切り拓かれ、改修されました。鉄道の計画に地元の財界・政界が「電力の整備」「険しい地形の改修」というアシストを行い、一丸となってアシストしていたといえるでしょう。

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鉾持桟道の拡幅工事の様子。大正10年頃(伊那市立高遠町歴史博物館蔵)。

 しかしこの鉄道計画は営業距離が約10kmと短く、当初から収支に厳しい見通しが立てられていました。その後は茅野への接続を模索するも、強力な旗振り役であった豊島恕平が1920年に、黒河内一太郎が1926年に相次いで世を去ったこともあり、出資者が集まらず計画は頓挫してしまいます。

 とはいえ、鉄道開通を前提とした発電は、長らく電力未供給であった高遠の地に電気をもたらしました。そしてレールが敷設されるはずだった土地は道路用地となり、高遠への県道(現在の国道361号)は早い段階で片側1車線分の道幅があったといいます。戦後まで繰り広げられた熱烈な鉄道誘致運動は実らなかったものの、当時としては珍しい道路状況も味方し、1948(昭和23)には前出した国鉄バス「高遠線」が開業を果たすのです。

【鉄道なくても70年“駅”】「高遠駅」の様子 画像で見る

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コメント

1件のコメント

  1. こちら鉄道や旅ライターの宮武さんへの高遠の桜とJRバス駅の高遠駅の記事へのコメントでよかったでしょうか?

     私は鉄道ファンで乗り鉄や一部乗りバスをしている者です。

     バス駅の高遠駅が無人化されるとは残念です。しかし高遠の桜はホントに見事ですよね。 

     私も以前、桜の時期に高遠に行ったことを思い出しながら楽しく記事を読みました。

     記事のアップ、ありがとうです。

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