高速バスの「共同運行」異変相次ぐ 新ペアで攻勢 コロナ減便から復活できない事情も
高速バスの発展を支えてきた「共同運行」の仕組みに異変が相次いでいます。異なる地域のバス事業者が協力しあうことで路線網が拡大されてきましたが、業界が縮小傾向のなか、それぞれの思惑が交差。一方で攻めの新局面も見られます。
高速バスブームを生み出した「共同運行」 40年経て変化
2022年春、高速バスの共同運行ペア組み換えに関するニュースが続きました。西東京バスの渋谷~金沢線にアルピコ交通が、両備バスの岡山~名古屋線に名鉄バスが参入し共同運行化します。いずれも元は別の事業者と共同運行していたものの、相手が撤退し単独運行化していた路線です。
京王バス/阪急観光バスの池袋・新宿~大阪線では、阪急が撤退し代わりにアルピコ交通が参入します。アルピコとしては、本拠地である長野県以外の路線に、一気に2路線、参入することになります。起点側、終点側双方の事業者による共同運行が中心であった高速バスのあり方に、変化がみられるようです。
共同運行が生まれたのは、1980年代前半です。それ以前は、国鉄バス以外で高速バスへの参入を認められるのは、事業エリアが近接するバス事業者どうしが相互乗り入れを行うか、沿線の事業者が出資しあって高速バス専業の会社を新設するケース(東名急行バスなど)などに限定されていました。
例えば、今では共同運行となっている新宿~富士五湖線も、開業当初は相互乗り入れでした。京王と富士急行が交互に運行し、予約センターは別々。京王が河口湖と山中湖に発券窓口を設置する一方、京王の新宿高速バスターミナルに富士急行の係員が常駐していました。
これを1996(平成8)年に共同運行とし、座席管理システムを統一。運賃収入を一括管理し一定の条件で両社に配分する「プール精算」としたことで、予約センターや窓口が一本化され、乗客の利便性向上と事業者側のコスト低下が実現しました。
制度上、乗合バス事業者の事業エリアが明確だった80年代当時、複数事業者のエリアをまたがって運行する高速バス路線の認可に運輸省(当時)は及び腰でした。しかし、京王や阪急ら大手事業者が積極的に声を上げ、紆余曲折の末、共同運行が認められます。その結果、起点側と終点側の事業者、最少で2事業者が合意さえすれば路線新設が可能となり、「高速バスブーム」が到来しました。
誤解を招きかねない部分があるので、あえて指摘させて頂く。
たとえば、西東京バスだが、1999年に分社化して発足した多摩バスに、高速バス部門を移管していたことがあり、2011年に再度多摩バスを吸収合併というかたちで西東京バス持ちとして復活するまでは、系列とはいえ他社に任せていたわけで、一時期撤退していることになる。いずれも京王グループとして京王(帝都)電鉄を親会社としている。
また、京王バスは実は、京王(帝都)電鉄の直営がまずあるほか、そこから分社化された京王バス南、京王バス東の二社の、計三社があり、高速バス部門も受け持ちの変遷を経て、なかなか複雑な状況になっており、外野からの把握は実はややこしい。
これに類似する例は、全国的に枚挙にいとまがなく、バス会社の分社化が増えた昨今、共同運行会社は外ヅラ以上に実はコロコロ変わっている例が増えている。
記事を見ると、業界通は別にして、たとえば京王バスはまるで一社で運行してきたと勘違いされかねない可能性もあるし、西東京バスも多摩バスに任せて撤退していた時代がそれなりにあるので、勘違いされかねないので、あえて指摘させて頂いた。
なお、たとえば多摩バスが吸収され、元通りに西東京バスに復するにあたっては、大多数の旧多摩バス社員が継続的に西東京バス社員として勤務を続けてはいる。各地の類例も、逸れに準じてはいると思う。
記者は、バス関連の記事を書かれるなら、業界のそうした度重なる再編による変化にもう少し留意して、誤解を招かないよう配慮が望まれる。