イタリアのミニミニ戦車「L6」の華麗なる“転生” 狭い/弱い/古い ダメ戦車も使いよう?

遅過ぎた量産配備と苦い戦い

 こうして、イタリア陸軍の期待を背負って誕生したL6/40型軽戦車でしたが、蓋を開けると量産がなかなか始まりません。これはイタリアが第2次世界大戦に参戦にしたことで、国内が戦時体制となり、安価で生産しやすい4輪式のAB41装甲車が優先的に生産されたからです。さらにこの装輪装甲車は、L6型とほぼ同型式の20mm機関砲塔を装備していたためにL6型の本格量産はますます遅れてしまいます。結局、L6型の生産が開始されたのは、1941(昭和16)年に入ってからでした。

 それでも、機甲師団や騎兵連隊に配備が進んだことで、北アフリカ戦線ではチュニジアまでの退却戦に間に合ったほか、ロシア戦線ではドン河への進撃戦で貢献する働きを見せています。

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1943年初頭、バルカン半島のアルバニアに駐屯した第1快速師団「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」の第14軽騎兵連隊「アレッサンドリア」所属のL6/40軽戦車(吉川和篤作画)。

 しかし、その頃になると戦前の設計であるL6型軽戦車の火力や防御力は陳腐化しており、相手に対して威力不足が目立つようになっていました。装甲が強化された連合軍戦車には20mm機関砲ではが全く歯が立たず、東部戦線ではソ連軍の14.5mm対戦車ライフルに500m先から撃破される始末でした。

 その結果、イタリア陸軍は、L6型軽戦車を見限ることとし、1942(昭和17)年までに同車の量産をストップします。そのために当初の発注数583両に対し、生産数は283両に留まり、残り300両分は途中まで製造されていたにも関わらず、全てキャンセルされてしまいました。しかし、そこで拾う神が現れます。

【イラスト】「これは狭いわ」イタリアL6/40軽戦車の車体&砲塔内部

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