イタリアのミニミニ戦車「L6」の華麗なる“転生” 狭い/弱い/古い ダメ戦車も使いよう?
第2次大戦で戦車開発に出遅れたイタリア。機動性に優れた快速戦車として造られた2人乗りの軽戦車も、火力や防御力不足から、あっというまに陳腐化の運命へ。ただ、脚の速さを活かして自走砲になったことで大戦終結まで使われました。
豆戦車から進化した新兵器
第2次世界大戦前のイタリア陸軍では、偵察や歩兵直援用の3トン級豆戦車として無砲塔タイプのL3/33(CV33)型快速戦車を多用していました。同車は、数の上でもイタリア戦車部隊の中核を成していましたが、小型すぎて1930年代半ばには力不足が明らかになり、なおかつ世界の戦車開発の流れも中戦車と豆戦車の隙間を埋める軽戦車に傾いていきます。
そこでイタリア陸軍も、新たに軽戦車を取得しようと、フィアット・アンサルド社に開発を依頼しました。こうして、L3型より大型で、武装も強力な軽戦車が同社で開発されることとなり、1939(昭和14)年に生まれたのが6トンクラスの試作戦車でした。
この新型軽戦車は、1940(昭和15年)型6トン級の軽戦車を示すL6/40(Leggero:軽)型の名称で陸軍に採用されます。基本的な車体デザインはL3/33型豆戦車を発展させたものでしたが、足周りのデザインは一新。2組の転輪を挟んだパーツをアーチ型のアームで支えて内部にねじり棒が入る、ドイツ戦車でも採用された当時としては最新のトーションバー式サスペンションが採用されました。
なお、このサスペンション構造は当時のイタリア戦車のなかでは異色な存在といえます。イタリアではその後も、P40型重戦車まで旧式のリーフスプリング式サスペンションが主流でした。
主武装は、高初速で高連射な対空機関砲を車載用に改造した20mmブレダM35型機関砲(296発)。これに8mmブレダM38型車載機関銃1挺(1560発)も同軸で装備していました。20mmブレダ機関砲は、300mの距離で厚さ30mmの防弾鋼板を貫通する威力があり、開発当時は直接戦闘を予想される軽装甲車両には充分と考えられて採用されたものです。しかし、機関砲と機関銃を同軸で装備する砲塔はひとり乗りのため、非常に狭く、戦闘時の操作性には難がありました。
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