イタリアのミニミニ戦車「L6」の華麗なる“転生” 狭い/弱い/古い ダメ戦車も使いよう?

量産中止から自走砲への転生

 前述したように、火力と防御力では陳腐化していたL6/40型軽戦車ですが、機動力については、路面で42km/h、不整地でも25km/hの最高速度を出せる快速性を有していました。

 そのため、砲塔を外して車体のみのオープントップ構造であれば、まだ使い道があるとされ、生産中止の前に自走砲へ改造するプランが立てられたのです。こうして、生まれたのが、L40 47/32型自走砲(セモヴェンテ)でした。

 改修は、L6/40型軽戦車の開発元であるフィアット・アンサルド社で行われ、新たな主武装として採用されたのは47mm対戦車砲。これは、オーストリアのベーラー社が1920年代に開発した32口径47mm平射歩兵砲を、イタリアのブレダ社がライセンス生産したもので、初速630m/秒で発射されたM35型徹甲弾は、距離100mで58mm、500mで43mmの装甲貫徹能力があり、当たり所によっては敵戦車の撃破が可能な威力を持つものでした。

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1944年、クロアチア陸軍に使用されたL40 47/32型自走砲。最終生産タイプで標準装備の無線機およびアンテナと防盾付き8mmブレダM38型車載機関銃に注目(吉川和篤所蔵)。

 L40型自走砲の生産は、1941(昭和16)年後半から月産約30両のスピードでスタート。なお、配備は翌年1月から始まり、第132機甲師団『アリエテ』や第133機甲師団『リットリオ』を皮切りに1943(昭和18)年9月のイタリア休戦までに約320両が陸軍に引き渡されています。

 L40型は、北アフリカやロシア、シチリア戦線で戦ったほか、バルカン半島の対パルチザン戦にも投入され、小型ながら機動力を活かして軽戦車や装甲車、トラックなどの軽車両などを相手に、ヒットエンドラン攻撃で戦果を挙げたのでした。

 また、休戦後も北イタリアの枢軸側R.S.I.(イタリア社会共和国)で1944(昭和19)年までに460両生産され、ドイツ国防軍や同空軍地上部隊に配備されています。なお、一部の車両はクロアチア軍に向けて輸出までされています。

 こうして一度は戦力外通告されたL6軽戦車ですが、脚の速さを活かす形で軽自走砲に生まれ変わり、1945(昭和20)年の第二次世界大戦終結まで戦い続けたのでした。

【了】

【イラスト】「これは狭いわ」イタリアL6/40軽戦車の車体&砲塔内部

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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