JR貨物なぜ追い風に乗れぬ?「災害に弱い」「サービス悪い」の集中砲火 真価は平時ではなく
本領発揮は"本当の緊急事態"に
またホクレンは現在、北海道の農畜産物の道外出荷では重量ベースで約3割をJR貨物に頼っていますが、「3割しか利用していない」理由として「輸送ロット(単位)の不一致」だと結論付けています。JR貨物では旧国鉄時代から続く、いわゆる「ゴトコン」(5tコンテナ)が主軸で、これはこれで農家から支持されているものの、一方でトラック輸送ではいわゆる「20tロット」(大型トレーラー)の規格がメジャーで、これに応じたサービスも充実すべきと訴えます。
このように叩かれ続けているイメージの強い鉄道貨物ですが、実はこう言えるのは、「代替の輸送手段が動いている」平時だからであって、まさにどうにもならないような緊急事態、つまり「有事」の際は、むしろ「鉄路」は強靭さが俄然発揮されます。
これを如実に見せつけたのが2011(平成23)年3月の東日本大震災における石油の大量輸送です。当時東北地方の太平洋側は大被害を受け、特に交通インフラの損害は酷く、首都圏と東北をつなぐ道路や鉄道は全て不通で、港湾も大津波で破壊された状態でした。3月の東北地方はまだまだ厳寒というなか、この地方の石油需要の大半を担っていた仙台の製油所も被災して操業中止に。こうなると復興支援に必要な重機やトラックの燃料不足以前に、住民が暖を取るためのストーブの灯油が底をつきかねず、生命の危険に直結する状態でした。
そこで白羽の矢が立ったのがJR貨物による鉄道輸送で、横浜港の製油所から武蔵野線→高崎線→上越線→羽越本線→奥羽本線→青森→東北本線→盛岡という“日本海周りルート”を数日で調整し、わずか1週間後の3月18日に1番列車が走りだしました。同様に新潟から磐越西線で福島県会津地方に入り郡山を結ぶルートも3月25日に開設。磐越西線は当時、その10年ほど前に貨物輸送が終了していたため、同線で貨物列車を運転したことのある機関士を、JRグループが一丸となって全国からかき集めたとのことです。
阪神淡路大震災では加古川線や播但線は貨物列車の迂回ルートとしては使えず、山陰本線経由が若干設けられたのみだとか。311後の磐越西線のJR貨物の第二種鉄道事業免許は役所が素早く動いたと何かに書いてあった。
イタリアの鉄道の映像を見たり、現地を旅行すると、貨物列車を車中や駅にて良く見かけます。
実際のデータは知りませんが、日本より物流に多く利用されている印象があります。
線路の規格が違うので、一概には言えませんが、JR貨物へのユーザーの不満点が「ソフト」にあるのなら、企業努力が足りないとしか言いようが無いような気がします。