民家で見つかった大きなプロペラ→日本製「幻の巨大機」だった! ジブリ映画にも登場90年前の姿とは

残されたプロペラが伝える物作り

 こうして、わずか6機しか造られなかった九二式重爆撃機は、実戦には一度も参加せずに日本本土や満州での試験飛行を行っただけで第2次世界大戦の敗戦を迎えました。しかし、日本がドイツの航空機製造技術を直接学び、後に全金属製の大型機を製造するノウハウを獲ることができた点を考えると、その役割は決して小さいものではなかったと言えるでしょう。

 ただ、その威圧するかのような巨体は軍のプロパガンダには最適で、製造からしばらく経過した1940(昭和15)年1月の観兵式において示威飛行を行ったほか、大戦中の1943(昭和18)年4月に兵庫県の西宮市に開業した航空館の関西国民航空練成場や、埼玉県所沢市の航空記念館などで終戦まで展示され、国威発揚などに使用されています。

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岐阜かかみがはら航空宇宙博物館で展示される九二式重爆撃機のプロペラ(下)と20分の1の同一スケールで統一された日本機の模型群。中央にひときわ大きい九二式重爆撃機の模型も見える(小島桂志氏撮影)。

 冒頭の2枚羽根の巨大プロペラは、寄贈者のハナシによると、かつて各務原陸軍航空廠で働いていた親族が終戦時に持ち帰ってきたものだそう。そこから推察するに、試作品または補用品として作られたものではないかと考えられます。

 この木製プロペラ、最近までは各務原市の木曽川文化資料館に展示されており、筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)も今年(2022年)5月の連休に間近で見学しました。しかし7月からは、航空機展示を専門に行う同市の岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に移っており、同館で常設展示されています。

 ここには同一スケールで製作された、さまざまな日本製航空機の模型(九二式重爆撃機含む)と共に前出の巨大プロペラも展示されているので、同機の大きさを実感しながら急速に発展を遂げていった当時の日本航空機産業やそのモノ作りに思いを馳せてみてもよいのではないでしょうか。

【了】

【とにかく巨大!】プロペラの正体「九二式重爆撃機」の全体写真ほか

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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