日本初の鉄道建設に関わった“しょこたん”のご先祖 「高輪築堤」だけじゃない その名残を追う
横浜の鉄道関連施設にも名残り
その次には伊予松山藩が幕府か命じられた「神奈川台場」の建設を落札。工事中にはこの台場を設計した勝麟太郎(勝海舟)との折衝も多く、その詳細は弥十郎にだけ伝えられ、作業は一任されていたといいます。弥十郎は「神奈川砲台」と染め抜かれた手ぬぐいを1800枚も関係者に配布、酒を振る舞うなどしてもてなし、工事に関わった人々をしっかりと労ったそうです。こうして、砲台は松山藩が当初見積もっていた8万両という予算よりも3万両近く安い予算で完成しました。
この後、明治に入って日本初の鉄道建設を請け負う弥十郎ですが、この神奈川台場も、後に鉄道関連施設へ変わっています。大正時代初期に周囲のほとんどが埋め立てられ、1924(大正13)年に東高島駅(貨物駅)が開業(のち廃止)。現在も敷地には石積みの台場の遺構がわずかに残っていますが、周辺開発で急速に姿を消しつつあります。
江戸の土木従事者たちは幕末の建造ラッシュで好景気に沸いたものの、明治新政府の樹立で状況は一変、多くの請負人は人夫を抱えたまま路頭に迷うこととなります。弥十郎は現在の横浜・馬車道通りの改修などで不況を凌ぎますが、海上に石垣を築造した経験はすぐ、全く別の方向で生かされることとなります。
冒頭に書かれてある、明治5年10月14日に開業したというのは誤りです。
明治5年までは旧暦だったから、1872年10月14日=明治5年9月12日です。