日本初の鉄道建設に関わった“しょこたん”のご先祖 「高輪築堤」だけじゃない その名残を追う

明治5年10月14日に新橋~横浜間で開業した日本初の鉄道のうち、海上に伸びていた「高輪築堤」の建設に“しょこたん”こと中川翔子さんのご先祖様が関わっていました。その功績と名残を追います。

高輪築堤はいかにして造られたのか 開業は見ずに

 平野弥十郎が率いる作業班は、まず現在の品川八ツ山を約3m切り下げるなどして、その残土を確保。海上の築堤から陸地に入った鉄道は、切り下げによってできた低地を通過する線形で、開業当時の品川駅もこの場所に設けられていました(現在の八ツ山橋の北側)。

 また築堤を固めるため約30cm×90cmの石を4万本も調達する必要があり、石の産地である神奈川県真鶴、根府川などの有力者に協力を依頼しています。また弥十郎は薩摩藩との縁を生かし、高輪の旧薩摩藩邸(現在のSHINAGAWA GOOSなどの一帯)の庭石も一部使用したようです。

Large 20221014 01
再開発が進む高輪ゲートウェイ駅東口。この周辺も海だった(宮武和多哉撮影)。

 弥十郎は築堤に近い現在の高輪ゲートウェイ駅西口近辺に事務所を構え、鉄道工事に忙殺される一方、時には鉄道建設を担当する大久保利通や木戸孝允と交流を持ち、酒を酌み交わすことも。工事は順調に進み、開業の前年には馬が踏み固めた築堤の上に資材運搬用のレールが敷かれるまでになります。

 この頃には明治維新後のインフラ建設も各地で進み、平野と関係が深かった棟梁・2代目清水喜助(現在の清水建設の源流)のように、名声や財産をなす土木関係者も多かったといいます。しかし弥十郎は、1872(明治5)年10月の鉄道開業にも試運転にも立ち合わず、北海道を開拓する官庁「開拓使」の官吏(役人)になるべく、請負業を辞して同年1月に北海道へ旅立ちました。

【写真】「高輪築堤」ってどこ? 列車が走っていたころ

最新記事

コメント

1件のコメント

  1. 冒頭に書かれてある、明治5年10月14日に開業したというのは誤りです。

    明治5年までは旧暦だったから、1872年10月14日=明治5年9月12日です。

記事ランキング

  1. 家族が「SSSS航空券」を引き当ててしまった…! 乗る前から“異変” 保安検査員も「Oh…」 誰でも起こり得る“緊迫の一部始終”
  2. ロシア軍の爆撃機が「真っ逆さまに墜落」 地上に激突する瞬間を捉えた映像が公開 “巨大な黒煙”が立ち上る
  3. “まるで高速”な無料バイパス「全線4車線化」へ変貌開始! 一部の上下線分離まもなく 対面通行を解消 国道8号
  4. 飛行中の「日の丸特別機」に粋なサプライズ! 天皇皇后両陛下を“最新ステルス戦闘機”がお出迎え
  5. ETCの手前で「ガシャン!」高速入口に吊るされた「黄色い鎖」の正体は? 傷つく覚悟で“あえてぶつける”超アナログな理由
  1. 家族が「SSSS航空券」を引き当ててしまった…! 乗る前から“異変” 保安検査員も「Oh…」 誰でも起こり得る“緊迫の一部始終”
  2. あと1年足らずで「現金でバス乗れなくなります」 全路線“完全キャッシュレス化”疑問に応えるサイト開設 京王バス
  3. ETCの手前で「ガシャン!」高速入口に吊るされた「黄色い鎖」の正体は? 傷つく覚悟で“あえてぶつける”超アナログな理由
  4. ロシア軍の爆撃機が「真っ逆さまに墜落」 地上に激突する瞬間を捉えた映像が公開 “巨大な黒煙”が立ち上る
  5. 「“再有料化”でいいから4車線化して」→普通車280円になって1年 利用者負担で勝ち取った“効果”あきらかに 八木山バイパス