重巡洋艦「摩耶」の進水日 "対空機銃"マシマシ防空艦へ進化 -1930.11.8

事実上の防空巡洋艦へと一新

 その後、日本がワシントンとロンドンの両軍縮条約から脱退したことなどで、高雄型重巡洋艦の4隻は近代化改装を受けることになります。ただ、改装は1番艦「高雄」、2番艦「愛宕」のみに留まり、「摩耶」「鳥海」の2隻は未改装のまま平洋戦争を迎えることになりました。そのようななか、「摩耶」は1943(昭和18)年にラバウルで空襲を受け、機能喪失寸前になりましたが、なんとか本土へ戻り、修復とともに念願の改装を実施します。

 このときに「摩耶」は3番主砲塔を撤去して、その位置に12.7cm連装高角(高射)砲を2基設置。さらに25mm機銃や13mm機銃、電探(レーダー)などを大増設して事実上の防空巡洋艦へと性能を一新しています。なお、これら改装による排水量増加で低下した復原性を補強するために、船体の両側にはバルジ(膨らみ)を増設しました。改装は1944(昭和19)年4月9日に完了し、戦線へと復帰します。

 ただ、そこから命運が尽きるまではわずか半年しかありませんでした。「摩耶」が沈んだのは1944(昭和19)年に起きたフィリピン沖でのレイテ沖海戦で、10月23日にパラワン島西部の海峡で敵軍の魚雷攻撃を受け、同型艦「愛宕」とともに沈没します。

 なお、姉妹艦の「高雄」もそのまま戦闘不能となったほか、「鳥海」についても2日後には沈没。わずか3日間で高雄型重巡洋艦は全滅を迎えてしまいました。

【了】

【重巡洋艦「摩耶」と高雄型ファミリーの雄姿】

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