ワールドカップ出場権が引金に!「サッカー戦争」 英雄まで生まれた史上最後の空戦とは?
史上最後、プロペラ戦闘機同士による空中戦の行方は?
エルサルバドルもホンジュラスも、決して豊かではない、いわゆる発展途上国であり、どちらの国軍も、アメリカの「お下がり」といえる中古兵器を装備していました。特に空軍の主力戦闘機は、世界的にはジェット機が当たり前になりつつあった1960年代末でも、いまだプロペラ機を主力に据えていたのです。
このような事情から、エルサルバドル軍もホンジュラス軍もヴォート社製のF4U「コルセア」戦闘機と、ノースアメリカン社製のF-51(旧称P-51)「マスタング」戦闘機を装備していました。
両軍の戦闘機は、開戦からしばらくの間は対地攻撃を軸に使われていましたが、1969年7月17日、ついに本格的な空中戦として相対することになります。
この日、ホンジュラス空軍のフェルナンド・ソト・エンリケス大尉はF4U-5NL「コルセア」を駆って、対地支援の任務に従事していました。そのようななか、エルサルバドル機の来襲を告げる連絡が入電し、迎撃するよう命令を受けます。
エンリケス大尉はホンジュラス空軍士官学校を卒業し、一定期間、軍務に就いた後に退役。民間商業パイロットとして働いていましたが、開戦により招集されたベテランの飛行機乗りでした。
しばらく飛んでエルサルバドル軍のF-51D「マスタング」戦闘機を視認した彼は、ぐんぐん高度を上げます。コルセアの長所である降下速度の速さを利用して、旋回性能に優れるF-51Dを一撃離脱で叩こうと考えた彼の戦術は的中し、撃墜に成功します。
続けて彼は、エルサルバドルのグッドイヤーFG-1D(グッドイヤー社製のF4U-1D)2機を立て続けに撃墜しました。これは、撃墜機と被撃墜機が同系統の機体という史上まれな撃墜例でした。
コメント