メッサーシュミットの知られざるライバル 英「ミーティア」とは 東側にパクられまくるまで

凡庸だけど残した実績は大きかった「ミーティア」

 一方、アメリカは、1944(昭和19)年1月8日に同国初のジェット戦闘機となるロッキードP-80「シューティングスター」を初飛行させています。同機は1945(昭和20)2月から3月にかけて2機がイタリアに配備されたものの、実戦を経験せずに終戦を迎えました。

 後退翼が主流になる戦後のジェット戦闘機に比べると、「ミーティア」は従来の設計に基づいた凡庸な機体でした。ゆえに、イギリス空軍は後継機となるデ・ハビランド「パンパイア」の調達に軸足を移すようになります。それでも「ミーティア」の改良型は対地攻撃機や偵察機など多岐にわたる任務で用いられ、イギリスだけでなく、大戦中に連合軍だったフランスを始めとした国々や、旧植民地のエジプト、シリア、イスラエルなどで1960年代初めまで運用されました。

 また大戦終結の5年後に起きた朝鮮戦争(1950~53年)では、初期にオーストラリア軍が最前線の制空任務に投入し、やがて戦場にアメリカのF-86「セイバー」戦闘機が登場すると、対地攻撃や偵察機として活動しています。

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大戦末期の1945年3月に、イギリス空軍第616飛行隊の分遣隊としてベルギーに配備され、敵味方識別用に白い塗装をした「ミーティア」F.3(画像:イギリス帝国戦争博物館)。

「ミーティア」は、直線翼の機体形状で凡庸な設計であり、なおかつ第2次世界大戦中に目立った戦果を上げることもなかったため、ライバルだったドイツのMe262に比べると地味に思えるかもしれません。しかし大戦後、各国軍によって運用され続けたため、その実績はMe262よりも大きく、そういう意味では戦後のジェット戦闘機の開発史における重要な機体であったことは間違いないでしょう。

 ちなみに、ロールスロイス社の遠心圧縮式ターボジェット・エンジン「ニーン」(「ミーティア」はこの小型版「ダーベント」を搭載)は、アメリカのプラット&ホイットニー社がライセンス生産し、グラマンF9Fパンサーに搭載されたほか、旧ソ連(ロシア)には少数供与されたのちにデッドコピーされ、その発展型エンジン「VK-1」は大量生産されてMiG-15やMiG-17に搭載されました。

 加えてVK-1は中国も「渦噴5型」の名称でコピー生産しており、その意味ではイギリスのジェット・エンジン技術が各国の航空機開発技術に与えた影響は大きかったと言えるのではないでしょうか。

【了】

【カラー写真も】第2次大戦後、イギリス以外の国が運用した「ミーティア」

Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)

軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。

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