【懐かしの私鉄写真】大雄山線にて最初で最後の“木造車”体験 小田原では修学旅行色の準急「ながら」に遭遇

伊豆箱根鉄道大雄山線には木造車が走っている――鉄道趣味誌を見て1966年1月、その年初の撮影として同線へ赴きました。少し足を延ばし、箱根登山鉄道や国鉄伊東線、伊豆急行線もカメラに収めています。

この記事の目次

・半世紀以上前でも珍しかった現役の木造車
・箱根登山鉄道はタブレット交換の時代
・国鉄伊東線をメインに伊豆急なども
・帰路は小田急3000形「SE」で

【画像枚数】全16点

半世紀以上前でも珍しかった現役の木造車

 1966(昭和41)年最初の撮影は、伊豆箱根鉄道大雄山線、箱根登山鉄道、国鉄伊東線でした。下車したのは大雄山線が五百羅漢、箱根登山線が大平台、伊東線が伊豆多賀で、これらを1日で回っています。移動時間を考えると、結構な駆け足コースだったと思われます。

 大雄山線を選んだのは、趣味誌でまだ木造車が動いていると知ったから。当時ですら、全国的に見ても現役の木造車は貴重な存在でした。

Large 221117 torizome 01

拡大画像

五百羅漢は駅の西側で小田急とクロスしているが、小田急には駅がない。大雄山寄りは農地が広がり、架線柱は片持ち、光線状態もよく絶好のロケーションだった。モハ46-クハ23は西武鉄道231形の車体だが、足回りは在来車から流用されている(五百羅漢~穴部/1966年1月8日、楠居利彦撮影)。
Large 221117 torizome 02

拡大画像

お目当ての木造車編成が来た。標準レンズなので車両が小さくなるが、周囲の状況がわかるからこれはこれでよいと思う(五百羅漢~穴部/1966年1月8日、楠居利彦撮影)。
Large 221117 torizome 03

拡大画像

ゆっくりとホームに進入してくるので、もう1枚アップで撮れた。モハ33に続くクハの車号は不明。原型はダブルルーフだったのがシングルルーフに改造されている。これに乗って小田原に戻った。座席の背摺りは板張りだったと思うが、写真は撮っていない(五百羅漢/1966年1月8日、楠居利彦撮影)。

残り192文字

この続きは有料会員登録をすると読むことができます。

2週間無料で登録する

Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

最新記事