戦前も同一ホームだったJR山手線渋谷駅 いつ、なぜ2面に? 外回りホームと共に消えた“記憶”

実は回帰? 82年前も同一ホームだった山手線

 山手線は外回りと内回り別々のホームを使用してきましたが、2023年1月9日(月)、いよいよ拡幅した内回りホーム1面のみの使用となり、外回りホームは廃止に。1月7日~8日にかけて4度目の改良工事が実施されました。

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早朝の光景。内回りは運行しており、工事中の光景は柵越しに見えた。ハチ公口付近では土台となっていた鉄骨の切断作業が行われていた。この鉄骨も予め準備工事によって仮組みされていたという(2023年1月7日、吉永陽一撮影)。

 今回は外回り電車を大崎~池袋間で運休させて振替輸送を実施し、運休の間に外回りホームの一部を解体。そこに線路を移設して内回りホームの一部を拡幅し、ホームの島式化を行い「内・外回り同一ホーム」としたのです。島式1面の山手線ホームは、おそらくほとんどの人が初めて見るのではないでしょうか。

 というのも、ホームはかつて1面でした。1940(昭和15)年7月の改良工事によって2面となってから、2023年1月までの82年と6か月間供用されてきて、その姿の方が私たちにとって当たり前だったのです。そのため、ホームの幅は異なれども、戦前の姿に戻ったともいえるかもしれません。

 なお、外回りホームが誕生した経緯を振り返ると、昭和10年代前半に東京横浜電鉄東横線(現・東急東横線)、玉川電気鉄道玉川線(一部、現・東急田園都市線)、帝都電鉄井の頭線(現・京王井の頭線)と、百貨店併設のビル内で連絡すべく、利便性向上や混雑緩和などが図られたため。当時は駅がターミナルビル化しつつありました。80年以上続いた内・外回り2面構造のホームは、路線どうしの乗り換えだけでなく、百貨店などの動線とも密接に結びつき、人々の記憶に刻まれていたのです。

【地図】現在の場所ではなかった「初代」渋谷駅

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