戦前も同一ホームだったJR山手線渋谷駅 いつ、なぜ2面に? 外回りホームと共に消えた“記憶”
最後の終電と特別なアナウンス
私(吉永陽一:写真作家)は1月6日(金)から翌7日(土)にかけて、外回りホームのラストを見送りました。幼少期よりこのホームに馴染みがあったので、人生と共に歩んできたホームが無くなることに、一抹の寂しさを覚えます。長年利用してきた者として最後の瞬間を目に焼き付けようと、最終日に改めて外回りホームへ上がって観察してみると、カーブした構造、銀座線の高架橋、ホーム開設時から存在すると思われる鋼鉄の支柱など、駅の歴史を物語るものがまだ残されていました。
床面は準備工事が完了しており、線路側は板で覆われています。終電後はこの板を一気に撤去し、支えていた土台を撤去するのです。また一部の上屋支柱は、線路移設に際して車両と接触する可能性があるため、既に切断されて仮支えとなっています。これらの準備工事は終電後のわずかな時間で施工することが多く、気が付いたら変化していました。
日付が変わって1月7日(土)の午前0時半。終電は33分発ですが、京浜東北線の遅れにより7分遅れと放送が入りました。ホームはいつものように終電で帰宅する人々が並び、整然と電車を待ちます。0時39分、最終の池袋行き2423G列車がゆっくりとホームへ進入してきました。ほとんどの人々は乗り込み、ホームに残るのは最後の勇姿を記録するファンと工事の関係者です。
「これまで82年と長い間ご利用いただきまして誠にありがとうございました。来週月曜日になりますと、島式ホームという形で新しく生まれ変わります」
特別な構内放送が入ります。発車メロディが鳴り、終電は発車。最後は駅長による凛とした指差喚呼によって、外回りホームの幕が下りたのでした。
【了】
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。
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