エアバスの始祖か 輸送機C-160トランザール初飛行から60年 欧州共同開発の背景に“鉄道”
フランスには原潜支援機も
C-160は、フランスから50機、ドイツから110機の発注を得て生産がスタート。のちに南アフリカからも受注し、それも含め1972(昭和47)年に一度、生産が終了しました。ただ、5年後の1977(昭和52)年にフランスから25機の追加発注を受けたことで生産ラインが再開されます。
再生産に際しては、中央翼内にも燃料タンクを増設したモデルが作られ、こちらはC-160NGと名付けられました。C-160NGは1981(昭和56)年から引き渡しが始まりますが、インドネシア向けにも生産されたほか、フランスからさらなる追加発注も受けたことなどで、最終生産機がラインオフしたのは1985(昭和60)年のことでした。
本機は、開発元のフランスとドイツ以外に、南アフリカやトルコ、インドネシアなどで使用され、フランス軍とドイツ軍の機体はNATO(北大西洋条約機構)域内の輸送任務だけでなく、アフリカや中東地域への平和維持活動にも多用されました。
なお、フランス空軍では、一部の機体に給油装備や燃料タンクを搭載して空中給油機として使用したり、核弾頭搭載潜水艦との通信機材を搭載して核抑止力の指揮・命令を担う重要な任務にも使ったりしたものの、2022年をもって全機退役しています。
一方、ドイツ軍では後継として、より大きなエアバスA400M戦術輸送機の導入が進んだことで、C-160については2021年に運用を終了しています。ただ、ドイツ軍が使っていた一部の機体はトルコに売却され、同国空軍で余生を送っています。
ヨーロッパではトランザールC-160を含めて多くの名機が共同で開発され、生産されてきました。そこから得られた多くの経験と実績が、エアバスの設立に繋がったことは言うまでもありません。
トランザールC-160は生産国のドイツとフランスの空からは姿を消しましたが、その足跡は、世界最大の航空機メーカーに成長したエアバス・グループとして結実していると筆者(細谷泰正;航空評論家・元AOPA JAPAN理事)は感じています。
【了】
Writer: 細谷泰正(航空評論家/元AOPA JAPAN理事)
航空評論家、各国の航空行政、航空機研究が専門。日本オーナーパイロット協会(AOPA-JAPAN)元理事
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