「次期戦闘機とMSJの両立」という無謀 三菱に背伸びさせた日本の“見通しの甘さ”

開発中止が正式決定された三菱スペースジェット。初の国産ジェット旅客機を製造するプロジェクトは、並行して進んでいた次期戦闘機の開発も密接に絡んでいます。失敗の原因は三菱というより、政府の見通しの甘さと見ることもできます。

MSJ中止 なぜ外国の知見をもってしても形式証明を取得できなかった?

 次期戦闘機に知見は活かされるのでしょうか。三菱重工業は2023年2月7日、連結子会社である三菱航空機が開発を進めていたリージョナル旅客機「スペースジェット」(旧名MRJ)の開発を中止すると発表。人員は防衛分野に再配置するといいます。

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開発中止となった三菱スペースジェット。2019年パリエアショーで(竹内 修撮影)。

 スペースジェットは2008年3月にANA(全日空)から確定15機、オプション10機の受注を得て事業化しており、2月7日の時点で確定153機、オプション114機の受注を獲得していました。開発中止の大きな要因は、航空機が安全性や環境性能などを充足していることを証明する、民間航空機の就航に不可欠なFAA(アメリカ連邦航空局)の型式証明書を思うように取得できなかった点にあります。

 三菱重工業は182機が製造されたターボプロップ旅客機「YS-11」を開発した日本航空機製造でも中核的な役割を果たしており、単独でもターボプロップビジネス機の「MU-2」とビジネスジェット機の「MU-300」で型式証明を取得しています。

 ただ、YS-11とMU-2が型式証明を取得した1960年代に比べて型式証明取得のハードルは高くなっており、三菱航空機は型式証明の取得に必要な安全性の確保に伴う設計変更などにより、2013年を予定していた初号機の納入予定は6度に渡り延期されていました。

 スペースジェットの開発は当初、三菱航空機の日本人スタッフの手によって行われていました。FAAの型式証明取得が、経験に乏しい日本人技術者のみでは困難であったことから、経験豊富な外国人スタッフの助力を仰ぐことになりました。

 筆者(竹内修:軍事ジャーリスト)はスペースジェットの開発拠点が置かれていた、アメリカのモーゼス・レイクの取材をしていないため、現地の日本人スタッフと外国人スタッフの関係がどのようなものであったかを語る資格を持ちません。しかしパリ、ファンボロー両航空ショーでの取材では、日本人スタッフと外国人スタッフの間に微妙な空気が流れていたように感じられました。

【え…】幻になった「ANA塗装をまとったMSJ」(写真で見る)

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2件のコメント

  1. 航空宇宙産業を再編してないのは日本だけ。各国とも過剰なくらいに統合して巨大化してるのに、従来の体制のまま割って入ろうなんて無理な話。しかも子会社にやらせるっていう軽い扱い。
    もっとも液晶や半導体を見ると、統合してもダメそうな感じはある。

  2. 「型式証明で苦戦」と「旅客機のシステムインテグレーションの経験不足」を結びつけるのは飛躍しすぎ。

    そもそもMSJの大きな延期の理由にシステムインテグレーションが由来のものは無いのでは? 私が知る限り、型式証明をとるために必要な「適切な要件定義(耐空性)」と「第三者から安全な設計を行っていることが分かる証拠」を残す組織づくりに失敗していたことが原因だったと思います。

    自衛隊機には型式証明はありませんし、FAAも無関係ですからMSJで型式証明がとれなかった点は次期戦闘機開発にさほど影響ないでしょう。

    まあ、三菱のプロジェクト運営や開発プロセスって大丈夫なん?という疑念はごもっともですが。