幻の「地下鉄山手線」計画とは? 東急がガチで考えた「ハイパー副都心線」の顛末
難工事の想定も「先見の明」で克服、しかし…
試算された建設費は約1070億円でしたが、ちょうど同じ時期に整備された東急新玉川線(現在の田園都市線渋谷~二子玉川)の工費が想定の倍以上にふくれ上がったことをふまえれば、到底収まるものではなかったでしょう。
当時、私鉄各社は運賃改定が遅れたため鉄道事業は赤字だったこともあり、これほどの大事業を遂行できたかは疑問が残るところです。しかしこの構想は既設線の廃止により生み出される計17ヘクタールもの跡地に高層ビルを建設する大規模再開発とのセットであり、事業全体として利益を生み出す狙いだったのでしょう。
また当時、超過密状態の山手線を救済する並行路線として、地下鉄12号線、13号線が計画され、さらに山手貨物線の旅客化(常磐開発線=後のつくばエクスプレスの乗り入れ等)、環状道路6号線地下鉄などの将来構想も存在しましたが、報告書では、山手線貨物線旅客化は千葉・茨城など中距離からの利用が中心となり、山手線内側の既存市街地を走る13号線とは役割分担が可能との見解が示されています。
道路下は開削工法、民地下はシールド工法を用いる計画でした。当時の報道を見ると地下深いシールドトンネルは地上地権者に補償せずに建設できる、現在でいう大深度利用のような制度創設を想定していたようですが、実現せず。地上に道路がない区間の建設は困難でした。
しかし、この構想にとどめを刺したのは調査報告書の発表から半年後に発生したオイルショックでした。これにより高度成長は完全に終焉し、壮大な開発計画は現実味を失ってしまったのです。
それでも、この構想からちょうど40年の時を経て始まった東横線、副都心線、東上線の直通運転の原点にはこの「地下鉄山手線」構想があったのではないでしょうか。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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