「JR神田万世橋ビル」に立つ“アヤしいポール”の正体 かつての万世橋駅跡 GHQに消されたモノとは?

しかし駅は廃止 銅像も“受難”

 しかし、1919(大正8)年に、中央本線が東京駅まで延伸すると徐々に寂れ、1923(大正12)年に関東大震災で駅舎が焼失。さらに、近隣の秋葉原駅が1925(大正14)年に旅客営業を始めたため、再建には力が注がれず、簡素な駅舎となりました。

 1936(昭和11)年には、東京駅から鉄道博物館(後の交通博物館)が移転し、駅舎はさらに縮小、1943(昭和18)年には駅として役目も終え、休止駅に。その後駅舎は解体となりました。

 広瀬中佐の銅像はその後も同地にしばらく残りますが、敗戦後、GHQ民間情報教育局が「軍国的、超国家的イデオロギー像、記念碑の廃棄」を指示する覚書を交付します。これにリストアップされた広瀬中佐の銅像は審査委員会で「国民の戦意高揚を強調し、敵がい心をそそるものと考えられる」として戦犯銅像扱いとなり、1947(昭和22)年に撤去されました。ちなみに、この審査委員会では上野公園の西郷隆盛像も議題になっていましたが、美術的価値ありとして難を逃れています。

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万世橋駅があった場所は現在mAAch(マーチ エキュート)という商業施設になっている(斎藤雅道撮影)。

 その前年に博物館が日本交通文化博物館の名で再開(2年後に交通博物館へ改称)していましたが、広瀬中佐像の撤去後、そのスペースは同博物館の屋外展示場に。2006(平成16)年に同博物館が閉鎖され、JR神田万世橋ビルとなり現在に至ります。正面玄関前の広場には広瀬中佐の銅像を示すオブジェ以外にも万世橋駅の歴史を示した写真のプレートが置かれています。

【了】

【これか!】戦前にあった「広瀬中佐の銅像」と万世橋駅(写真)

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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