スペインでは「エース」続々 中国では短命 東西で真逆のイタリア戦闘機 日本軍機の撃墜記録も

中国でも挙げた日本軍機撃墜の戦果

 一方、当時のイタリアは、アジアにおける利権や外貨獲得も目指していました。そこで、目を付けたのが、新たに誕生した中華民国空軍でした。彼らは1933(昭和8)年に、中国側からの要請で、技術教育や中国人搭乗員を訓練するために、総勢150名の顧問団を派遣します。そして新生空軍の組織再編成から予算管理まで行うことで、顧問団の団長に君臨していたロベルト・ロルディ大佐は、中華民国(当時)の指導者であった蒋介石から厚い信任を得ることに成功しました。

 そうしたイタリアと中国との蜜月時代の中、1933(昭和8)年から1935(昭和10)年にかけて13機のフィアットCR.32型戦闘機が中国に輸出されます。

 なお、このときは他にもブレダBa.27型戦闘機11機、フィアットBR.3型複葉爆撃機23機、カプロニCa.111型輸送機6機、サヴォイア・マルケッティSM.72型輸送機6機、カプロニCa.101型爆撃機14機、ブレダBa.25型複葉練習機20機なども一緒に輸出されており、いかにイタリア空軍顧問団が蒋介石率いる中華民国政府から信頼されていたか、わかるでしょう。

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1937年、南京郊外のジュロン飛行場に展開した中華民国空軍第3航空群第8戦闘機隊所属のフィアットCR.32型複葉戦闘機「806」号機。機体は下面も含めて全てオリーブグリーン系単色で塗られ、主翼上下に国籍を示す青天白日マークと胴体後部に白帯が、垂直尾翼に青色と白色のストライプが描かれた(吉川和篤作画)。

 中国へ輸出されたCR.32型は、自国製の7.7mmブレダSAFAT機関銃の代わりに、イギリス製の7.7mmヴィッカース機関銃を搭載していました。なお、中華民国空軍司令部では、この前近代的な設計の複葉戦闘機をそれほど評価していなかったようです。

 それでもアメリカ製のカーチス・ホーク複葉戦闘機やボーイングP-26単葉戦闘機との比較テストでは優れた性能を示したことから、現場部隊には好評であったと伝えられています。

 しかし、ガソリンとオイルを混ぜる手間が必要な混合式の航空燃料は運用が複雑であり、加えてフィアット社から追加の整備用部品が送られてくることもなかったことなどから、日中戦争前の1936(昭和11)年5月には、事故や故障によりCR.32型の稼動機は半分以下の6機にまで減少していました。

 それでも、1937(昭和12)年8月の日中戦争緒戦において、首都南京(当時)の防空戦に出動した中華民国空軍の第3航空群第8戦闘機隊に所属するCR.32型は、8月15日に2機で日本海軍の九六式陸上攻撃機1機を共同撃墜する戦果を挙げています。これは極東におけるイタリア製戦闘機による初めての撃墜記録と言えるものです。

 ただ、12月の南京陥落までには第29戦闘機隊所属のブレダBa.27型戦闘機と共に全機が失われてしまったことで、中国のイタリア戦闘機はその短い戦歴を閉じたのでした。

 極東アジアのイタリア製軍用機というと、旧日本陸軍のフィアットBR.20爆撃機、通称「イ式重爆撃機」が有名ですが、実は中国でも運用されており、その一部は日本軍に対して手痛い反撃を食らわしていたのです。

【了】

【男前かも…】旧海軍の九六式陸攻撃墜した中国人パイロットの素顔ほか

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「あなたの知らないイタリア軍」「日本の英国戦車写真集」など。

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