東急田園都市線「最後の踏切」はどこにあった? トンネル完成で廃止/旧道は分断 いざ現地へ
「踏切ゼロ」で知られる東急田園都市線ですが、かつてはいくつかあったようです。うち最後まで残ったのはどこで、現在はどうなっているのでしょうか。現地へ行ってみました。
田園都市線と横浜線を越えていた
東急田園都市線は渋谷駅を起点に神奈川県大和市の中央林間駅までを結ぶ、全長30kmあまりの通勤路線です。川崎市や横浜市のベッドタウンを経由することから利用者は多く、全車両が10両編成で運行されています。
そんな田園都市線は、「踏切ゼロ」の路線としても知られます。特に溝の口駅(川崎市高津区)以西は丘陵地帯をイチから開発した区間であり、掘割やトンネル、高架などで道路と交差しています。ただし、かつては複数の踏切があり、最後の箇所は平成時代まで残りました。
最後の踏切があったのは田奈~長津田間、名称は「田奈1号踏切」です。JR横浜線と並走する区間にあり、踏切は2路線を越えていました。交差するのは、こどもの国通りから長津田駅南口へ抜ける道路でした。
現在ここは立体交差化されています。長津田駅南口へ出ると、道路はそのまま国道246号との交差点や東名高速を越え、緑区霧が丘まで達しています。
では踏切はいつまであったのか――トンネルの建設工事は1986(昭和61)年2月に始まり、竣工は1989(平成元)年12月。踏切は同月4日に廃止されました。地元からも、事故の危険があるなどの理由から、踏切を除却するよう陳情書が提出されていたようです。実際、特に朝夕は踏切の遮断時間が長くなり、道路も渋滞が激しかったといいます。
>> かつては複数の踏切があり
どこに踏切があったのですか?
田園都市線長津田開業時は、この踏切しか残っていないかと。
長津田駅構内に乗務員用の構内踏切はありましたが、その事を指しているのでしょうか。