"TX級"高速新線があちこちに? 国鉄が何度も挑戦した「開発線」構想とは 「通勤新幹線」のなれの果て
妥協に妥協、ようやく「実現」を果たす通勤新線
国鉄末期に発行された『東工90年のあゆみ』には、「開発線等将来計画図」として、次の6路線を記載しています。
(A)常磐新線(東京~南守谷~水戸)※一部つくばエクスプレスとして開業
(B)みなとみらい21線(東神奈川~根岸)※一部みなとみらい線として開業
(C)上毛開発線(宮原~伊勢崎)
(D)東北開発線(東川口~久喜)
(E)東海道開発線(新宿~渋谷~港北ニュータウン~茅ケ崎)
(F)中央開発線(東京~武蔵境)
(C)は1978年の「高崎開発線」を引き継ぎ、後の埼京線の原型となります。元々は宮原で高崎線に接続する予定でしたが、埼京線内に車庫用地を確保できなかった影響で、現在の「川越線直通」に変更されました。しかし上記のとおり、いずれは本命の高崎線に乗り入れ、その先は新線として伊勢崎まで建設する構想があったのだと思われます。
(D)は現在の埼玉高速鉄道にあたる路線です。赤羽岩淵以北は1985(昭和60)年の運輸政策審議会答申第7号で「浦和市東部」方面への延伸構想として浮上しており、これを国鉄が担うことで東北線の混雑緩和を図ろうとしたのでしょう。(E)についても、同答申の「神奈川東部方面線」(のちのJR・相鉄直通線)に関係した構想と思われます。
そして今もJRの計画として生きているのが(F)で、2016(平成28)年の交通政策審議会答申第198号にも「京葉線の中央線方面延伸及び中央線の複々線化」として掲げられています。
壮大な計画のほとんど全てが実現しないまま歴史の中に消えていきました。そのなかで「つくばエクスプレス」だけが唯一、通勤新幹線と開発線の精神を引き継いだ存在であると言えます。
つくばエクスプレスは沿線の開発を加速させ、経営的にも成功。在来線としては最高レベルの最高速度130km/h運転は、かつて描いた夢そのものでした。もし法制度が数十年早く整い、各方面に開発線が建設されていたら、首都圏の地図は全く違っていたものになっていたでしょう。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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