【鉄道のある風景今昔】え、ここから「電車」に? 意外な駅に接続していた山形交通三山線 木造電車はまもなく100歳

ローカル国鉄の左沢線 羽前高松駅から月山の麓まで、かつて「三山線」という電化路線が延びていました。戦時統合により運行会社が一度変わっています。半世紀近く前に廃止されましたが、今も車両が酒造博物館に保存されています。

この記事の目次

・三山電気鉄道 開業2年後に延伸
・戦時統合で山形交通へ
・保存車体も雪に耐えられず…
・「100歳を前に」 修復プロジェクト始動

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三山電気鉄道 開業2年後に延伸

 東北にあった小私鉄として、以前に羽後交通雄勝線山形交通高畠(たかはた)線を紹介しましたが、今回は山形交通三山(さんざん)線を紹介したいと思います。同鉄道は電化路線でしたが、国鉄との接続駅が奥羽本線のような幹線ではなく、そこから延びる左沢(あてらざわ)線というローカル線だった点がユニークでした。

 三山線の起点は羽前高松駅。同駅は左沢線の終点に近い立地で、県都・山形からの直通列車があるものの、非電化の地方交通線の小駅から電車に乗り換えられたというのは、現在の感覚では少々考えづらいかもしれません。

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山形交通三山線は国鉄左沢線の羽前高松駅を起点にして、月山の麓に位置する間沢駅までの路線であった。写真は羽前高松駅構内でのスナップで、右手に曲がってゆくのが三山線の本線。左手には左沢線が走っている。留置されている電車は西武鉄道からやって来たクハ11とモハ105である。1969.8 羽前高松(所蔵:網谷忠雄)。

 三山線は、出羽三山への参詣客の輸送や鉱山物資の運搬を目的に、1926(大正15)年12月に三山電気鉄道として開業。当初は海味(かいしゅう)駅までの8.8kmでしたが、1928(昭和3)年9月に間沢駅まで延長し、営業距離は11.4kmとなりました。

 開業後の経営は比較的順調で、参詣客のほか地域の通勤・通学の足としてよく利用されたそうです。鶴岡まで延伸という話が出たほどでした。

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Writer: 宮下洋一(鉄道ライター、模型作家)

1961年大阪生まれ。幼少より鉄道に興味を持つ。家具メーカー勤務を経て現在はフリー作家。在職中より鉄道趣味誌で模型作品や鉄道施設・車輌に関する記事や著作を発表。ネコパブリッシングより国鉄・私鉄の車輌ガイド各種や『昭和の鉄道施設』・心象鉄道模型の世界をまとめた『地鉄電車慕情』など著作多数。現在も連載記事を執筆中。鉄道を取り巻く世界全体に興味を持つ。

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