【鉄道のある風景今昔】山形交通のルーツのひとつ「高畠線」 小型電車と貨物の小私鉄を襲った水害
かつて山形県南部に小さな私鉄が走っていました。山形交通の高畠線です。旅客輸送のほか沿線の工業品や農産物を運ぶ貨物輸送も担っていました。途中の高畠駅は大谷石造りの駅舎で、廃線後もバス待合所として使われました。
この記事の目次
・貨物輸送も担った高畠線
・延伸区間は四半世紀と持たず…
・転用された旧高畠駅舎
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貨物輸送も担った高畠線
前回の羽後交通雄勝線に続いて、今回は山形県にあった小私鉄を紹介したいと思います。山形交通高畠(たかはた)線は、かつてJR奥羽本線の糠ノ目駅(高畠町:1991〈平成3〉年に高畠駅に改称)から二井宿駅(同)までを結んでいた、全長10.6kmの電化鉄道線でした。
1921(大正10)年、製糸品の輸送を目的に高畠鉄道が設立。当時、高畠町周辺では製糸業が発展していました。翌1922(大正11)年3月、まず糠ノ目~高畠(編注:現在のJR高畠駅とは別の場所)間の5.2kmが開通し、続いて2年後の1924(大正13)年8月に高畠~二井宿間が開通しました。
開業時は非電化でしたが、全通から5年後の1929(昭和4)年に全線電化されています。開業目的の通り貨物輸送は盛んで、工業製品のほか、木材・乳製品・木炭・果物の輸送も担っており、旅客輸送とともに貨物輸送は廃線まで続けられました。
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Writer: 宮下洋一(鉄道ライター、模型作家)
1961年大阪生まれ。幼少より鉄道に興味を持つ。家具メーカー勤務を経て現在はフリー作家。在職中より鉄道趣味誌で模型作品や鉄道施設・車輌に関する記事や著作を発表。ネコパブリッシングより国鉄・私鉄の車輌ガイド各種や『昭和の鉄道施設』・心象鉄道模型の世界をまとめた『地鉄電車慕情』など著作多数。現在も連載記事を執筆中。鉄道を取り巻く世界全体に興味を持つ。