戦艦「扶桑」は別格? 旧国名が使われなかった理由 いまだ海自が使わない “とっておきの艦名” は
「扶桑」は「敷島」「八島」と一緒って?
「海軍軍艦及水雷艇類別標準」が定められた1898(明治31)年の時点では、まだ「戦艦は旧国名」というルールはなく、富士型戦艦「八島」と、敷島型戦艦「敷島」は、日本の美称が由来。一方、同じ敷島型でも「初瀬」は川名、「朝日」は和歌、「三笠」は山岳名とバラバラでした。
それが改められたのは、1905(明治38)年に制定された「大日本帝國海軍艦艇の命名基準」です。ここで、装甲巡洋艦(後の巡洋戦艦)は山岳名、戦艦は旧国名と明確に定められました。
この新基準が最初に適用されたのは、1905(明治38)年に建造開始した戦艦「薩摩」からで、同型艦「安芸」、河内型戦艦「河内」「摂津」と旧国名で統一されました。
なお、旧国名とは、朝廷が定めた律令国の名称です。この律令国は、国力により上から「大国」「上国」「中国」「下国」に分けられていました。「薩摩」は上から3番目の「中国」、「安芸」「摂津」は「上国」で、最も格上の「大国」が由来だったのは「河内」ただ1隻だけでした。
大国である「河内」や、上国の「安芸」「摂津」を差し置いて、新命名基準最初の戦艦が「薩摩」と命名されたのは、旧日本海軍に対する薩摩閥(鹿児島県出身者)の影響の強さも伺えます。
そうしたなかで誕生した2代目の戦艦「扶桑」は「就役当時、世界最大」で、世界水準でも最強に近い(イギリス戦艦「クイーン・エリザベス」に継ぐ)有力戦艦でした。
「扶桑」とは先述した「敷島」「八島」と同じく、日本全体を現す美称です。和語由来の「敷島」「八島」と異なるのは、「扶桑」が漢語であることにあります。
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