米軍「退役させたい」議会は反対だった? 異形の攻撃機「A-10」の行方 湾岸戦争の伝説も“危ない”評価か
意外に被害の多いA-10 現代戦では生き残れない?
A-10攻撃機の運用が始まったのは1977年のこと。この頃、この機体に求められたのは、多くの対地攻撃兵装を搭載し、低高度で友軍地上部隊を間近から支援する、いわゆる「近接航空支援」を行える能力でした。
一般的なジェット戦闘機と比べて長い空中待機能力と、まっすぐな直線翼に多種多様な兵装が搭載できること、そして低速・低高度での運動性能の高さを達成すべく、あのような特徴的な外見になったのです。当時の攻撃機としては最適解だったといえるでしょう。
しかし、天敵となる地上配備の対空兵器の発達によって、このA-10の能力にも陰りが見えてきました。対空ミサイルや、センサーによって精密に照準される対空機関砲が当たり前となった現代の戦場においては、低速・低空を飛ぶA-10が生存するのは難しくなったからです。
1991年に勃発した湾岸戦争では、A-10が8000回以上も出撃しました。その戦果は確認されたものだけでも、イラク軍のトラックを1000両以上、戦車は900両以上、火砲は900門以上、ほかにも様々な攻撃目標を撃破したといわれています。
一般的には、湾岸戦争によってA-10が攻撃機として再評価されたとなっていますが、その一方で、参加した約130機のA-10のうち半数が戦闘中になにかしらの損傷を受けており、A-10の従来の戦い方がリスキーであることを実証してしまったのです。
実際、同戦争中には防空兵器が充実した共和国防衛隊の攻撃に参加したA-10が、赤外線誘導ミサイルによって同じ日に連続して撃墜されており(2機が撃墜されパイロット1名が死亡、1名が捕虜)、これを受け、その後の作戦運用に一定の制限が課せられています。
今後、アメリカ軍が参戦するかもしれない戦場では、湾岸戦争よりも高度な防空兵器が存在することは間違いなく、そんな戦場でA-10の生存性に疑問が持たれるのは当然の流れといえるでしょう。
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