「エンタープライズ撃沈せり」全て誤報!? 最多勲章空母のラッキーすぎる伝説 次は世界初の原子力空母 その次も

世界初のレーダー戦闘を何度も実施

 1942(昭和17)年8月の第2次ソロモン海戦で、「エンタープライズ」は空母「サラトガ」と共に、日本空母「翔鶴」「瑞鶴」「龍驤」と交戦します。「エンタープライズ」は250kg爆弾3発を被弾し損傷しますが、1発が幸運にも不発弾で、致命傷は免れました。

 とはいえ、被害は甚大で操舵不能に陥ったものの、日本軍攻撃隊は距離80kmの近くにいた「エンタープライズ」を発見できなかったため、事なきを得ます。

 修理された「エンタープライズ」は、同年10月の南太平洋海戦で、再び日本機動部隊と交戦します。日本は空母「翔鶴」「瑞鶴」「隼鷹」「瑞鳳」を主力に据えた一方、アメリカは「エンタープライズ」「ホーネット」のみと兵力では劣勢でしたが、航空隊の奮戦によって「瑞鳳」と重巡「筑摩」を撃破する戦果をあげました。

 この戦いで「エンタープライズ」は爆撃を受け損傷しますが、魚雷は回避し、ここでも致命傷を避けるという強運ぶりを発揮します。しかし、同型艦の「ホーネット」は大破し、後に日本軍水上艦隊に撃沈されました。

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1944年6月、太平洋上を航行中の空母「エンタープライズ」。奥に見えるのは僚艦の空母「レキシントン」(画像:アメリカ海軍)。

 こうして「エンタープライズ」はヨークタウン級空母3隻の中で唯一生き残った艦となりました。同艦は損傷していましたが、戦艦「比叡」「霧島」を中心とする艦隊がガダルカナル島砲撃に向かっていたため、艦載機を同島のヘンダーソン飛行場へ向かわせ、ガダルカナル島防衛に貢献しています。

 翌日も艦載機37機が日本軍輸送艦隊と、飛行場砲撃後に退避する艦隊を攻撃し、重巡「衣笠」を撃沈、重巡「鳥海」「摩耶」と軽巡「五十鈴」に損害を与えました。

 1943(昭和18)年1月、レンネル島沖海戦に参加したあと、「エンタープライズ」は真珠湾に帰港。ここで、同艦に対してアメリカ空母初となる大統領感状が送られています。ちなみにこの時、日本軍空母搭乗員で捕虜になった豊田中尉に「エンタープライズ」艦内を見学させています。これは、日本側の空母情報を得るためにわざと見せたのですが、ここで彼は航空機を天井に吊るして搭載機数を増やす手法に感心しています。

 同年7月、「エンタープライズ」は大改装に入ります。水中防御力が弱いことと、対空兵器が増加して、浮力が減ったことを補うため、船体下部左右にバルジを装着。これにより、軽荷時に右舷側に傾斜する問題も解決されています。ただ、最高速度は30ノット(約55.6km/h)に低下しています。加えて、消火装置などを増設してダメージコントロール能力も強化。ほかにも新型レーダーや射撃管制装置、カタパルトの設置が行われました。このとき戦闘機も新型のF6F「ヘルキャット」に更新されています。

 これら一連の改装を終えた「エンタープライズ」は、同年11月下旬に起きたギルバート諸島沖航空戦に参加し、世界で初めて「艦載機のレーダーを使用した夜間迎撃」を成功させています。

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