「エンタープライズ撃沈せり」全て誤報!? 最多勲章空母のラッキーすぎる伝説 次は世界初の原子力空母 その次も

アメリカ艦として初のイギリス勲章も授与

 翌1944(昭和19)年、「エンタープライズ」はマーシャル諸島上陸支援に参加した後、日本海軍の一大根拠地だったトラック島への空襲を行います。この時、初めて「夜間に艦載機のレーダーで目標を捕捉し、目視で投弾」する攻撃を実行し、成功を収めています。

 その後、同艦はヤルート環礁、ビスマルク諸島への攻撃、パラオ大空襲に参加し、パラオでは日本軍機が放った魚雷の直撃を受けますが、幸運にも不発でした。こうして生き延びた「エンタープライズ」は、マリアナ沖海戦に参加します。レーダーで日本軍攻撃隊を察知した同艦は、F6F戦闘機を発艦させて待ち伏せ、日本軍に大損害を強いました。

 その後、レイテ沖海戦で戦艦「扶桑」「山城」「武蔵」、重巡「最上」、駆逐艦「霜月」に損害を与え、空母「瑞鳳」を撃沈。その後も、フィリピン戦で、駆逐艦「若月」「長波」「浜波」を沈めています。

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1945年10月、パナマ運河沖を進む空母「エンタープライズ」(画像:アメリカ海軍)。

 1944(昭和19)年12月、エンタープライズは夜間空母となり、硫黄島や沖縄の戦いに参加します。翌1945(昭和20)年3月に、日本の艦爆「彗星」が投下した500kg爆弾の直撃を受けたものの、またも不発で、大損害を免れました。

 沖縄戦では、第58任務部隊の旗艦として、沖縄への夜間空襲に参加します。このとき、神風特別攻撃隊の命中を受けました。ここでは沈没こそ免れたものの、大きな損傷を受けたため、接敵しようと飛んできた旧日本海軍の富安中尉に敬意を表し、「エンタープライズ」の乗員たちは「日本海軍が3年かかっても与えられなかったほどの損害を、彼はたった一人で一瞬のうちにやってのけた」と賞賛。彼を丁重に水葬しています。

 こうして損害を被った同艦は、修理のためにアメリカ本国へ帰還。そこで終戦を迎えています。

 こうして太平洋戦争(第2次世界大戦)の生き抜いた「エンタープライズ」は戦後、イギリス海軍大臣による公式訪問を受け、イギリス艦艇以外で初めての「海軍本部ペナント」を受賞しました。1947(昭和22)年、「エンタープライズ」は除籍され、1960(昭和35)年に解体されています。

「エンタープライズ」は、多くの戦果を挙げ、大戦中で最多となる20個の従軍星章を授与したほか、大統領部隊感状や海軍部隊褒章を得るなど、輝かしい艦歴を有しました。その勇名は世界初となった原子力空母「エンタープライズ」に受け継がれたほか、現在建造中のジェラルド・R・フォード級空母の3番艦に早くも命名されています。

【了】

【細っ!】空母「エンタープライズ」艦橋のアップや貴重なカラー写真も

Writer: 安藤昌季(乗りものライター)

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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