進水式の“縁起悪さ”を一挙挽回! 旧海軍艦艇で屈指の武勲艦「初霜」形見は今も東京に

第五艦隊司令部が置かれたことも

 その後、第21駆逐隊は、第五艦隊の第一水雷戦隊に編入されます。1943(昭和18)年夏にはキスカ島撤退作戦に投入されます。しかしその途次、濃霧で軽巡「阿武隈」、駆逐艦「初霜」「若葉」「長波」、海防艦「国後」が多重衝突を起こしたため、損傷した「初霜」は輸送船「日本丸」の護衛に回され、キスカ島の脱出作戦には参加できませんでした。ただ、撤退作戦そのものは成功裏に終わっています。

 1944(昭和19)年1月となり、「初霜」は、空母「雲鷹」「千歳」「瑞鳳」「龍鳳」を護衛します。潜水艦ハダックの雷撃を受けた「雲鷹」を、駆逐艦「玉波」らと護衛。7ノット(約13km/h)しか出ない「雲鷹」を、敵潜水艦2隻が追撃しますが、「初霜」は見事「雲鷹」を守り抜きました。

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初春型駆逐艦の2番艦「子日」。写真は竣工直後で友鶴事件による改装を受ける前なので、1番砲塔と2番砲塔が背負い式など明らかな重武装(画像:アメリカ海軍)。

 6月、「初霜」はマリアナ沖海戦に補給部隊護衛として参加しました。補給部隊は、駆逐艦「初霜」「響」「雪風」「卯月」「夕凪」「栂」で、タンカー4隻を護衛しました。初春型1隻、特型1隻、陽炎型1隻、睦月型1隻、神風型1隻、樅型1隻と、同型艦は1隻もなく、寄せ集めの編成でした。しかし、アメリカ空母機の空襲被害はタンカー2隻のみで済み、「初霜」が護衛した「速吸」は生き残ります。

 その後「初霜」は、輸送船4隻を、駆逐艦6隻、海防艦4隻で護衛する第二次多号作戦に従事します。このとき「初霜」らは、煙幕で敵機の視界を妨害しつつ、輸送船を護衛し、作戦を成功させました。

 ただ、この間、第五艦隊所属として戦っていた第21駆逐隊の仲間を次々失います。そのため、なんと駆逐艦「初霜」に第五艦隊司令部が乗艦し、駆逐艦「霞」「朝霜」「潮」「竹」を率いてマニラを出港する形となりました。

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