進水式の“縁起悪さ”を一挙挽回! 旧海軍艦艇で屈指の武勲艦「初霜」形見は今も東京に

進水式やり直しで「縁起悪い」とも

「初霜」は建造中に設計変更されただけでなく、進水式でもトラブルに見舞われています。多くの来賓が見守るなか、進水式の船台で停止したのです。軍楽隊が軍艦行進曲(いわゆる軍艦マーチ)を演奏し、くす玉が割れて鳩と五色の紙吹雪が飛び出すなか、動かない「初霜」の前途を建造関係者は「縁起が悪い」と憂いたのだとか。

 結局、1か月遅れで就役した「初霜」は、第21戦隊の駆逐艦として、太平洋戦争開戦を迎えます。同型艦「若葉」「初春」「子日(ねのひ)」と共に、日本近海で対潜掃討に従事しました。

 1942(昭和17)年1月に「初霜」は、オランダ領東インド(現在のインドネシア)の攻略作戦に従事します。このとき、旗艦の軽巡洋艦「長良」と「初春」が衝突し、「若葉」「子日」が護衛で「長良」「初春」を連れて行ったため、司令官の久保少将は、しばらく「初霜」を旗艦にしたそうです。

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初春型駆逐艦の1番艦「初春」。写真は竣工直後で友鶴事件による改装を受ける前なので、1番砲塔と2番砲塔が背負い式など明らか重武装(画像:アメリカ海軍)。

 その後起きたバリ島沖海戦では、第8駆逐隊の朝潮型駆逐艦4隻が、連合軍艦隊と交戦したと聞き、「長良」や「初霜」など第21駆逐隊は現場に急行しますが、海戦が終わった後でした。第21駆逐隊はバリ海峡を突破しようとしたアメリカ駆逐艦4隻を追撃します。アメリカ艦隊は退却のため蒸気圧を最大にしており、第21駆逐隊は振り切られました。その後「初霜」は「若葉」と協力し、敵武装商船を撃沈しています。

 その後、「初霜」ら第21駆逐隊は、1942(昭和17)年5月に北方部隊へと編入され、軽巡「阿武隈」とともに、アラスカ沖のアリューシャン列島攻略作戦に従事します。アッツ島の攻略を果たし、同島への輸送船団を護衛し続けました。しかし、北方海域は悪天候がひどかったため、行方不明者9名を出すなど、厳しい任務でした。

 そのアッツ島への輸送船団を攻撃するアメリカ艦隊と、「初霜」を含む日本軍第五艦隊はアッツ沖海戦で対決します。「初霜」は「若葉」と共に、重巡「那智」「摩耶」を護衛して海戦に参加しました。ただ、このとき損害を恐れた第五艦隊司令長官の細萱中将が、重巡どうしの遠距離砲戦を続けたこともあり、「初霜」は主砲の射撃も魚雷の発射も外して、戦果を挙げることなく終わりました。

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