鉄道誕生から延々つづく「二重行政」とは!? 役人の縄張り争いに"手打ちの条件"…非効率生んだ「2つの法律」

運輸省vs建設省「シマ争い」に終止符を打つ「手打ちの条件」は

 数十年にわたる対立を解決したのは、なんと「モノレール」でした。モノレールは当時「道路上に柔軟に設置できる」ことが画期的で、次世代の交通機関として注目されていましたが、実際には用地買収や道路改修が少なからず必要で、想定より建設費が膨らむことが分かってきました。そこで1970(昭和45)年頃からモノレールを「道路インフラ」として位置づけ手厚い補助を行う、「都市モノレール」制度の議論が始まります。

 それまでに開業したモノレールは全て地方鉄道法によって整備されていたため、運輸省は今後も地方鉄道法によるべきと主張。これに対して建設省は「道路上(空)を走り、道路インフラの一部として建設される以上、軌道法によるべき」と主張します。

 この対立は最終的に「モノレールを軌道法で扱う代わりに、軌道法で扱われている私鉄を地方鉄道法に転換する」という「交換条件」で手打ちとなります。1970年代後半にかけて阪神や阪急、京阪が「軌道」から「鉄道」に転換。ようやく現在のすみ分けに到達するのでした。

 現在も鉄道と軌道の関係は一筋縄ではいかず、例えば新交通システムは区間ごとに軌道と鉄道を使い分けていますが、これは道路インフラとみなす部分、地下鉄とみなす部分など「補助制度を最大限活用するため」という側面があります。

 このように両者が入り混じる形は、かつての対立を乗り越えた象徴と言えるかもしれません。

【了】

【画像】ヤバイ…! これが「終戦直後の通勤風景」です

テーマ特集「【記事まとめ】昔の鉄道風景は驚きだらけ!? あの路線の意外な歴史、幻に消えた鉄道計画も…知るほど奥深い「鉄道考古学」の世界」へ

Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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