「貨物を守れ」「解放しろ」命運分けた“判断” 関東大震災の非常事態 鉄道員たちはこう動いた
私有財産である荷物を公衆へ
やがて猛火が駅まで達し、駅構内の自動車車庫、貨物ホームまで延焼してきます。駅長は消火に全力を挙げるようにと指揮をふるいます。
18時頃、一帯の火災は収まりました。しかし余震が続き、津波再来の風説もあり、大勢の被災者が駅付近の線路へと避難してきました。
この状況を見た鎌倉駅長は、駅構内を開放し、貨物ホームや貨車の中にある食料を避難者に分配する決断をします。通信は途絶えているので、上部組織との連絡がつかないまま、駅長独断で行ったことでした。
まず駅前広場に大釜を据え、貨物ホームにあった米俵を運び出して、避難者への炊き出しをします。翌日は貨物列車に積載していた白米や煮干し魚を構内にいた避難者、駅員とその家族に分け与え、さらに町役場と協議して米40俵、醤油7樽、煮干魚32箱を救護品として町へ提供しています。
非常時における大久保駅長のリーダーシップはみごとでした。駅はその町のシンボルといえる場所です。そこを開放し、貨物は略奪されるのを守るという発想ではなく、逆に積極的に人々に分け与えました。そのため各地で起きた略奪もここでは起きていません。大久保駅長は、後に鉄道省から100円を賞与される表彰を受けています。
私物である貨車の荷物を鉄道社員の独断で公衆に分け与えることは、賛否が分かれることでしょう。やはりケースバイケースだと思います。大地震などで想定外の事態となった時、どう決断するか。関東大震災での事例は、その参考になるはずです。
【了】
Writer: 内田宗治(フリーライター)
フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。
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