冷戦真っ只中に日米ソが大慌て「ベレンコ中尉亡命事件」MiG-25がもたらした旧ソ連の最高機密とは?

アメリカが喉から手が出るほど欲しかった「ソ連の機密情報」

 MiG-25の生産は1967年から開始されましたが、同年7月にドモジェドヴォ空港(モスクワ郊外)で開催された航空ショーで会場上空をフライパス。突如その存在が明かされたのです。

 ただ、当初アメリカを始めとした西側諸国は、このときの限定的な情報しか得られなかったため、外観から判断可能な双垂直尾翼や巨大なエア・インテーク、長く太い機首などから、高速飛行が可能で運動性に優れ、火器管制装置も高性能なものを搭載した「謎の高性能戦闘機」と判断し、危機感をつのらせます。

 以来、「謎の機体」とされていたMiG-25でしたが、思わぬところから素性が知れることになります。それが、前述したベレンコ氏による函館空港への亡命事件でした。

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ベレンコ中尉が亡命時に搭乗していたMiG-25の同型機(画像:アメリカ空軍)。

 1976年9月6日、プリモルスキー地方のチュグエフカ基地に展開した第513戦闘航空連隊所属のMiG-25P(機体番号31)が、同隊のヴィクトル・イワノヴィチ・ベレンコ中尉(当時)の操縦で北海道上空に飛来、函館空港へ強行着陸したのです。

 なぜ彼は、戦闘機を駆って日本へ来たのか。それはアメリカへの亡命を望んでいたがゆえの行動でした。

 日本側は秘密のヴェールに包まれたMiG-25が突然やって来たことで、大騒ぎになります。「事なかれ主義」の日本政府は、大国ソ連との関係悪化を恐れて大慌て。しかし一方でアメリカの空軍関係者は、これまで一切不明だったソ連戦闘機の「謎解き」が徹底的にできると狂喜乱舞したとか。結局、本機は分解され、徹底的に調べられました。

 調査の結果、MiG-25は高空を高速で飛ぶことだけに特化した機体で、重量の都合で航空機にはあまり用いられないスチール鋼材を耐熱材として使ったり、火器管制装置など電子機器に半導体ではなく真空管を多用していたりと、事前の予想に反して、速いだけが取り柄の意外にも大したことのない性能であることが露呈。日米の航空関係者はその実態を暴くことに成功したのです。

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