冷戦真っ只中に日米ソが大慌て「ベレンコ中尉亡命事件」MiG-25がもたらした旧ソ連の最高機密とは?

お騒がせ亡命者はさっさと渡米

 一方、亡命を希望していたベレンコ氏は、函館空港への強行着陸から3日後の9月9日に、早々とノースウェスト航空の定期便で離日、アメリカへと向かいました。

 こうして、希望通りアメリカへの亡命を成功させたベレンコ氏ですが、アメリカ当局は当初、暗殺を警戒して彼の住居を頻繁に変更するなど、大掛かりな保護措置をとりました。また、それと同時にしかるべき護衛が常に同行したうえで、アメリカ社会の実情を直接体感させています。その結果、彼は自分がソ連時代に教えられたアメリカの生活の話と現実がまるで違うことを認識し、亡命するという自分の判断に間違いはなかったと思うようになったそうです。

 その後、1983年9月1日に大韓航空機撃墜事件が起きると、彼は傍受したソ連側の通信の解析を手伝うなど、東西冷戦中は特にアメリカ当局と密な関係を築いたとか。プライベートでは、作家トム・クランシーのデビュー作「レッド・オクトーバーを追え!」の執筆に際して助言をしたとも伝えられます。

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ベレンコ氏のソ連空軍時代の身分証明書(画像:CIA)。

 なおソ連側は、ベレンコ氏がアメリカで交通事故にあって死亡したとか、帰国して裁判の末に処刑されたといったプロパガンダ情報を時折流していました。

 ベレンコ氏は、妻と男の子ひとりを残して亡命しましたが、アメリカでノースダコタ州コーラル出身の音楽教師の女性と再婚。男の子ふたりをもうけたものの離婚しています。

 そして今年9月24日、ベレンコ氏は闘病の末、イリノイ州ローズバッドの高齢者介護施設でふたりの子息トムとポールに見守られながら亡くなりました。享年76歳。東西冷戦の最中に起きた一大亡命事件。発生から50年の節目まで残り3年を残しての長逝でした。

【了】

【大失態の穴埋め用か】これが亡命騒ぎによって急きょ配備された自衛隊機です(写真)

Writer: 白石 光(戦史研究家)

東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。

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