100年経っても変わらぬ「戦車の弱点」 史上初の戦車集中戦「カンブレーの戦い」の教訓とは?

1917年11月20日から12月7日にかけ、第一次世界大戦の欧州で史上初めて戦車の集中運用による軍事作戦が行われました。戦車は作戦初日にすさまじい威力を見せますが、以降は芳しくありませんでした。一体なぜなのでしょうか。

初めて戦車が本当の威力を見せた戦い

 今から100年以上前の1917年11月20日から12月7日にかけて、第一次世界大戦の欧州で史上初めて戦車の集中運用による軍事作戦が行われました。「カンブレーの戦い」です。

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塹壕を突破する直前で立往生したマーク IV戦車(画像:イギリス陸軍)。

 イギリス軍はドイツ軍が「ヒンデンブルク線」と呼ばれる要塞群を構築したことで、膠着状態の続く戦線を打開すべく、交通の要所カンブレーに攻勢をかけることを決定します。この戦いでイギリス軍は当時の常識を打ち破り、進軍のための長時間にわたる準備砲撃を行わない決定を下します。第一次世界大戦が開戦されて以来、砲撃により敵の防御陣地を破壊した後に進軍するのが定石となっていましたが、砲撃に対応した巧妙に構築された防衛線が開発されたおかげで、効果は限定的となっていました。

 イギリス軍は、長時間の砲撃のかわりの突破点となる場所への、毒ガス弾を含めた短時間での集中砲火と、戦車の集中運用により奇襲性を高め、これまで難儀してきた鉄条網や機関銃陣地などの突破を試みようとします。そのために、主力となるマーク IV戦車が400両以上集められました。これは1916年9月に史上初めてイギリス軍が戦車を投入して以来、最多の数でした。

 この作戦では、戦車を先行させつつ、そのすぐ後方に歩兵と砲兵が移動し、砲撃支援や陣地制圧を行う歩砲連合と呼ばれる戦法が取られました。さらに上空の偵察機や地上攻撃機との連携も考慮されており、第二次世界大戦を先取りしたような、戦車、歩兵、砲兵、工兵、航空機のよる作戦行動を行った戦闘でもありました。

 戦闘序盤は完全にドイツ軍の虚を突いた攻撃により、イギリス軍優勢で進みます。特に戦車の突破力はすさまじく、それまで数十m進むにも万単位の死傷者を出していたのが嘘のようにヒンデンブルク線を越え、初日で最大約8kmも進むという大戦果をあげました。結局、作戦開始から1週間後の11月27日には、イギリス軍はカンブレー周辺に最大幅約11km、奥行き約9.5kmに渡る勢力圏を確保しました。

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