もうすぐ140歳の通勤路線!? どうなる「愛知県最初の鉄道」の歴史遺産 電化経てついに変化のとき
高架化により解体 しかし…
跨線橋を観察すると、ペンキが厚めに塗布された鉄柱にはうっすらと「鉄道院」の文字が浮かび、丸みを帯びたの鉄柱の造形は、重厚感のなかにも瀟洒な佇まいを見せ、思わず「美しい……」と呟いてしまうほど繊細なつくり。明治時代末期の跨線橋と313系電車の対比も面白く、この鉄柱はどれほどの車両を見送ってきたのだろうかと想像してしまいます。
さらに半田駅のホーム上屋や駅舎は、跨線橋に負けず劣らずの木造で、入線する電車やTOICA入場機など現代の風景を除けば、駅本屋側の柱の装飾、深い屋根のホーム木造上屋など半世紀前と変わりません。点在する建物資産標には「T 11年9月」「S 19年5月」と、大正昭和の竣工を表すものがあり、半田駅の歩みが詰まっている気がしました。
しかし、その姿はもう過去のもの。高架化事業により、プレハブ仮跨線橋と仮駅舎に切り替えられました。高架化事業は半田駅前後の踏切9か所を解消するもので、2016(平成28)年から始まり完成は2027年度を予定しています。
半田駅の最古の跨線橋は解体され、“現地”には存在しません。しかし高架化された際には駅前に、跨線橋をはじめ油庫などの鉄道施設を保存すると半田市が発表しました。跨線橋は移設保存という形で、後世へ残されることとなったのです。高架化事業によって歴史へと消えたわけではありません。
武豊線は、終点の武豊駅の先に手動の貨車用転車台が保存され、日本油脂専用線の廃線跡もあります。かつて気動車が行き交った愛知初の鉄道路線は、313系電車が走り抜ける通勤通学路線と成長し、その沿線には鉄道遺産が点在しています。半田駅の整備が終了するのが待ち遠しいですね。
【了】
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。
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