「61式戦車はダメダメ」本当か!? 同時代の海外戦車と戦っても“案外強い” その根拠とは?
1961(昭和36)年に制式化された、戦後初の国産戦車である61式戦車。「防御力皆無」「設計が時代遅れ」「操縦が世界一難しい」など一般的な評価は厳しめなのが多いですが、同時代の外国製戦車と交戦したら、どうなっていたでしょうか。
交戦距離2000mは想定せず!
陸上自衛隊初の国産戦車として1961(昭和36)年に制式化された61式戦車は、第2次世界大戦の敗戦によって旧日本陸軍が解体され、兵器製造が一切禁止されたことなどもあり、開発は難航しました。それでも大戦のブランクを埋めた習作戦車として評価されていますが、では同時期の外国製戦車と比べて性能はどうだったのでしょうか。
61式戦車は、90mm砲を搭載する重量35tの戦車です。ただ、開発の参考としたアメリカは61式戦車の制式化前である1959(昭和34)年、すでに105mm砲を搭載したM60戦車を誕生させ、生産を始めています。90mm砲はすでに小さいものだったのです
ヨーロッパに目を転じてみても、ドイツの「レオパルト1」戦車は1964(昭和39)年生産開始で、やはり105mm砲を搭載。イギリスの「チーフテン」戦車に至っては、1963(昭和38)年生産開始で120mm砲を備えていました。
日本が仮想敵国として見定めていたソ連(現ロシア)も、1958(昭和33)年に100mm砲を装備したT-54/55の生産を始めており、61式戦車の制式化と同じ1961(昭和36)年には、さらに高威力の115mm砲を搭載したT-62の試作車が完成しています。
振り返ると1900年代初頭にイギリスが革新的な戦艦「ドレッドノート」を建造・就役させたことで、他国の戦艦は「建造中のものまで旧式化」したという事例がありますが、このように搭載砲の大きさだけで比較すると、61式戦車は「制式化した時点で旧式戦車」と捉えてもおかしくない状況だったと言えるでしょう。
ただ、文献などの記録によると、1950年代に我が国で61式戦車の開発方針を決めた近藤プロジェクトマネージャーは、“他国に劣っているのを承知で”90mm砲を採用したのだそう。
なぜなら、日本の開発予算が桁違いに少なかったことや、車体重量を増やせない制約もあり、90mm砲を採用するのが最善だったからです。日本国内は樹木や構造物が多く、1000m以内の近距離で会敵しやすいため、90mm砲でも通用すると認識していたとする記述があります。
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