ついに始まった!?「地下鉄で空襲対策」は歴史的に異例なのか 戦争開始で「駅とトンネルに求められるもの」
戦前日本の「空襲対策」に地下鉄はどう使われたのか
では日本はどうだったかというと、こちらも地下鉄を空襲下の輸送機関と位置付けていたため、地下鉄への避難を禁止していました。実際には電車を走らせるどころの騒ぎではなく、また市街地を標的とした空襲の多くは夜間に行われたため、避難所として使われた例はほぼ皆無でした。例外が1945(昭和20)年3月13日・14日の大阪大空襲で、地下鉄御堂筋線が非公式に避難に活用されました。
もうひとつの問題は強度でした。銀座線の各駅は地下7~10mと浅い位置にあり、トンネル上部と地面との距離(土被り)が「わずか2~3m」という区間も多く、1945(昭和20)年1月27日の「銀座空襲」では爆弾が銀座駅のトンネルに直撃し、大穴を開ける被害を生じています。
本格的な空襲に耐えるにはロンドンのような地下深いシールドトンネルが必要ですが、これはコストと地質の関係で困難でした。ただ、次に建設予定だった赤坂見附~新宿間(後の丸ノ内線)は、空襲に備えてシールドトンネルを採用し、避難先として運用する構想もあったようです。
翻って現代、政府や都が想定するのは「弾道ミサイル攻撃」です。ウクライナに発射された短距離弾道ミサイルを見る限り、着弾で「深さ2~5mのクレーター」が出来るほどの威力のようです。日本に対して使われる可能性のある中距離弾道ミサイルは、さらに威力が大きいでしょう。
東京では117駅が大規模地下緊急一時避難施設に指定(2022年10月1日現在)されていますが、地下浅い場所にある小規模駅が中心で、個別の安全性・効果性を確認したものではありません。そのままシェルターとして使うのは困難ですが、それでもミサイルの爆風・破片の直撃を防げれば、生存率が大きく上がるという判断です。
一方、今回の麻布十番駅のシェルターは、一時的な退避・避難ではなく長期的な滞在も想定した本格的な施設です。当然、複数回のミサイル攻撃を想定しているはずで、どのように堅牢性を検証するのか興味深いところです。
その結果次第では、もうひとつの防災備蓄倉庫設置駅であり、麻布十番に続く整備対象駅の有力候補と考えられる清澄白河駅が、地下14.7mという浅い位置にあることが計画に影響してくる可能性があります。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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