「戦艦と空母を合体!」日本だけが作った夢の「航空戦艦」本当に中途半端だったのか?
大戦終結後にも計画された航空戦艦プラン
ハナシを第2次世界大戦前に戻すと、軍縮条約非締結国向けの大型軍艦として、航空戦艦は魅力的だったのか、1938(昭和13)年にはアメリカがソ連(現ロシア)向けに、大型航空戦艦の提案を行っています。
この時のプランは、基準排水量6万1840トン、全長306m、主砲は40.6cm三連装砲塔4基12門。全長122.5mの飛行甲板を備え、艦載機40機の運用が可能で、最大速力34ノット(時速79.6km/h)もの高速で走るという、まさに万能軍艦といえる内容でしたが、ソ連が通常の戦艦を希望し、アメリカ政府も軍縮条約の排水量制限を大幅に超過した軍艦は望ましくないとギブス&コックス社に忠告したため、実現せずに終わっています。
ドイツも1942(昭和17)年に、28cm砲を前甲板に備え、飛行甲板付きの巡洋艦を計画したほか、フランスも大戦終結後に戦艦「ジャン・バール」の空母化を検討しています。フランスのプランは、38cm四連装砲塔2基を残したうえで、艦体後部に飛行甲板を備えるというものでした。
ちなみに、大戦前の日本では、航空戦艦が検討されたことはありません。ただし、創作物では大人気で、1935(昭和10)年から雑誌『少年倶楽部』で連載された冒険小説「新戦艦高千穂」では、水上攻撃機16機を搭載し、40.6cm四連装砲塔3基を備えた架空の軍艦「高千穂」が物語のなかで大活躍しています。
実際に実現した伊勢型航空戦艦は、35.6cm連装砲塔4基8門、艦上爆撃機もしくは水上爆撃機22機を搭載していたため、『少年倶楽部』で描かれた「高千穂」を具現化したと言えなくもないでしょう。
ちなみに伊勢型は完全な空母化(搭載機数54機)や、主砲塔2基のみを残す案(同40機)も検討されましたが、これらは完成時期が遅くなり過ぎるため、実現しませんでした。
伊勢型の航空戦艦への改装は、「伊勢」「日向」とも1943年後半に完了します。しかし、搭載予定だった艦載機を翌1944年の台湾沖航空戦で消耗してしまったことなどから、搭載機なしで普通の戦艦としてレイテ沖海戦に出撃しています。
伊勢型航空戦艦はミッドウェー海戦で空母4隻を失った旧日本海軍が、その穴埋め用として艦載機数の増加を目的に計画・改装したものですが、一度も真価を発揮することなく終わっています。
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