零戦の後継機「烈風」どうやったら大戦に間に合った? 今考える「3つの方法」 元凶は旧日本海軍のこだわり?

海軍が陸軍戦闘機を採用していたら…

 3は、旧日本陸軍が開発した迎撃戦闘機「鍾馗」を海軍も採用するという案になります。「鍾馗」は1938(昭和13)年から開発され、「雷電」より1年先行していましたから「陸軍が成功したら採用」と海軍関係者が割り切れれば、あり得たハナシではないでしょうか。

 初期型の「鍾馗」一型甲では、「雷電」二一型と比べて武装や航続力で劣っており、海軍関係者に不満が残った可能性はあります。しかし、改良型の「鍾馗」二型では、それらの点が改善されているため、アメリカ軍の重爆撃機を迎撃する際に重宝されたと考えます。

 この場合でも、「烈風」開発は迷走する可能性がありますが、最低でも史実では人手不足でできなかった「零戦」の改良が早まる利点があったでしょう。

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旧日本陸軍の二式単座戦闘機「鍾馗」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 このように「烈風」は、海軍が新型機の開発方針を転換していれば、間に合った可能性があると思えます。ただ、これらはあくまでも結果論、80年後の未来から見た仮定のハナシであるため、「たら・れば」にしか過ぎないことは重々承知のうえです。

 とはいえ、「誉」エンジンを搭載した「銀河」は1943(昭和18)年8月より量産が始まっているので、もしかしたら太平洋戦争の艦隊決戦「マリアナ沖海戦」に「烈風」が間に合ったかもしれません。

 その場合、ひょっとしたら、零戦のように飛行可能な「烈風」が現代に残っていたかもしれないのです。

【了】

【キレイに直ってる!】これがアメリカでレストアされた「紫電改」です(写真)

Writer: 安藤昌季(乗りものライター)

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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コメント

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2件のコメント

  1. 『「烈風」の実戦投入を早めるため』というお題に対する答えとして3つ挙げられていますが、
    申し訳ありませんがどうでしょう。

    「1 他社に発注」ですが、川崎は海軍の戦闘機を開発していませんし、中島も九五式以降はないし、
    ともに陸軍の戦闘機開発あり余裕はない。また、水上戦闘機「強風」の試作ができる前の川西に、
    戦闘機開発ができるとは考えられていなかったので、新しい局地戦闘機を単独発注する度胸はないでしょう。
    「2 海軍が自ら次期艦上戦闘機を開発」ですが、これでは「烈風」にはなりません。
    「3 陸軍機を局地戦闘機として採用」。百式司偵や四式重爆等の例はありますが、陸軍の戦闘機を
    採用する柔軟性があったかどうか。そもそもその発想が受け入れられるのであれば、新たに「乙戦」
    などを海軍で独自開発するという発想をもつ必要もない。

    「たられば」の話ではありますが、申し訳ありませんが、すこしピントがずれているように感じます。

  2. 誉エンジンの問題はスルーですか?確かに額面通りの性能が発揮できれば誉エンジンは高性能なエンジンですが、、、