横浜みなとみらいのヌシ 帆船「日本丸」100歳目前!? あまりにも波乱万丈の半生を知っているか
横浜ランドマークタワーの麓に浮かぶ帆船「日本丸」(初代)。竣工100年を見据え、修繕費を募っています。日本の船員育成に多大な貢献を果たした同船、じつは昭和史の大波をくぐり抜けた偉大な船でもありました。
もうすぐ竣工100年を迎える激レア船
有名観光地として知られる横浜市のみなとみらい21地区。かつて三菱重工業の横浜造船所があったこの場所に、「太平洋の白鳥」と呼ばれた初代帆船「日本丸」(2278総トン)が係留されています。
長きにわたり大勢の船員を育て、引退後はさまざまな都市が誘致に名乗りを挙げるほど愛されていた同船は、2030年に竣工から100年を迎えます。帆船日本丸記念財団では、国の重要文化財である帆船「日本丸」を将来にわたって維持し続けるため、2024年2月29日まで修繕工事費用をクラウドファンディングで募っています。
帆船「日本丸」は文部省(現・文部科学省)が発注し、川崎造船所(現・川崎重工業)で1930(昭和5)年3月に竣工した洋式の大型帆船です。全長は97.05m、全幅は12.95m。帆装として4本のマストを備え、このうち3本を横帆、最後尾の1本を縦帆とする「バーク型」と呼ばれる船型で建造されました。
なお、出入港時や荒天時には帆走をしないため、池貝鉄工所が製造した日本初の舶用大型ディーゼルエンジンを搭載しています。太平洋を横断する長期の練習航海を行うため安全対策にも力を入れており、区画式の二重底構造を採用したほか、水密隔壁も6か所に設けました。リベット構造のバーク型帆船の保存例は世界的にも珍しく、当時の造船技術を伝える貴重な存在です。
そもそも帆船「日本丸」が建造された背景には、日本の練習帆船不足という深刻な問題がありました。明治以降、急速な近代化を推し進めていた日本は、1925(大正14)年に保有船舶量392万総トンを達成し、イギリス、アメリカに次ぐ世界第3位の海運国へとなっています。その間、船型も大型化しており、サンフランシスコ航路では1908(明治41)年の段階で1万3000総トン級の客船「天洋丸」が就航しています。
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