「どう見ても爆撃機…」一式陸攻はなぜ「陸上攻撃機」なのか 旧海軍独自の分類方法とは
“ついで”だったはずの爆撃任務でも酷使される…
つまり爆撃機としての仕事は“ついで”だったわけですが、 艦上攻撃機には陸上から発進する性格上、海上の目標に到達する長大な航続距離が求められました。その、長大な航続距離という性能が、敵の後方施設にダメージを与える「戦略爆撃機」としての利点を、第二次大戦勃発直前の日中戦争で証明する形となったのです。
ただ九六式陸攻に関しては、双発爆撃機で4発大型爆撃機並みの長大な航続距離を要求された関係で、防弾装備に大きな問題を抱えていました。日中戦争での戦略爆撃に投入された九六式陸攻は敵機の待ち伏せにあい、大きな損害を負うことになります。
一方、後継機の一式陸攻は中国での爆撃において、当時の基準では画期的だった高高度飛行性能や高速性を活かし、損害を最小限にとどめます。しかし、やはり長大な航続距離を獲得するために主翼内をインテグラルタンク(主翼の構造材そのものをタンクとすること)にしてしまったため、当初は防弾性が全く考慮されませんでした。大戦中は多少改善されることになりますが、アメリカとの戦闘では主にアリューシャン方面での戦いや、戦争後期の艦艇攻撃などで大きな損害を負うことになります。
九六式陸攻や一式陸攻は「中攻」とも呼ばれました。それより爆弾搭載量に優れ、防弾性も犠牲とせずに航続距離を伸ばしやすい「大攻」という機体の開発が海軍では度々試みられていましたが、結局どれも少数生産に留まり、終戦まで「中攻」である一式陸攻がその役割を担うこととなりました。なお、一式陸攻の後継機である「銀河」は急降下爆撃が可能であったことから爆撃機扱いでした。
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