「敵艦隊がいた!」バルチック艦隊を最初に発見した漁船の武勇伝のウラ側 「遅かりし1時間」怪しい美談の教訓

大本営海軍部の電文が公開 真実は?

 国威発揚の格好の材料とされた5人の漁師は「久松五勇士」と謳われましたが、「久松五勇士」とは「爆弾三勇士」など戦前よく使われた国威発揚物語の典型的フレーズでもあります。戦後もモニュメントが建てられるなど、地元では今でも知られる話になっています。

 しかし、大本営海軍部が受信していた電文が1974(昭和49)年に公開されると、「遅かりし1時間」という話が怪しくなってきます。電文は5月28日午前7時10分八重山局発、10時海軍部着となっていたのです。実際には1時間どころでなく約30時間遅れだったわけです。

 この頃には海戦の雌雄は決しており、日本海軍は残敵掃討に入っている段階でした。海軍扱い電文は軍機のため、正確な発信受信時間など当時は知りようがありません。この「1時間」はどこから出てきたのか。宮古島や石垣島に公式な記録が残っているわけでもなく、関係者のあいだで語り継がれるなかで自然と改変されていったのか、美談仕立てにするため意図的に脚色されたのかは判然としません。

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宮古島にある「久松五勇士」の碑(パイパテロマ, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)。

 もし、島嶼部にも情報インフラが整えられ、「宮城丸」の情報が早く届けられていたら、日本海海戦の様相はどう変わっていたでしょうか。せっかく得た情報も適時を得なければ無意味という情報戦の厳しさを示しています。そして現代でも南西島嶼部は、地政学的にも日本の安全保障に大きく関わっており、警戒監視、情報インフラ、守備隊、民間防衛の整備が必要なことは言をまちません。

【了】

【地図】どこで「宮城丸」は艦隊を発見? その後の日露の航行ルート

Writer: 月刊PANZER編集部

1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

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