「羽田は国内線、成田は国際線」なぜ撤廃? かつての首都圏空港“鉄のオキテ”が変わったワケ
現在、羽田空港は国内・国際両面で「日本の空の玄関」になりつつあります。しかしかつて、羽田はほとんど国内線のみが運航され、国際線は成田空港を用いることが一般的でした。なぜその棲み分けが撤廃されたのでしょうか。
D滑走路作って国際線参入…なぜ?
2024年現在、羽田空港は国内・国際両面で「日本の空の玄関」になりつつあります。しかし1978年から2010年まで、羽田はほとんど国内線のみが運航され、国際線は成田空港を用いることが一般的でした。なぜその棲み分けが撤廃されたのでしょうか。
1978年までの羽田空港は、国際・国内両方の路線便が発着していました。それ以前、経済成長を背景に航空需要が増え続けており、当時のキャパシティでは対応しきれなくなったため、もうひとつ首都圏に空港を作ることとなります。これが現在の成田空港で、そこからは長年「国内線は羽田、国際線は成田」といった棲み分けがされていました。
この状況を大きく変えたのが、2001年に建設をスタートし2010年に完成した、羽田空港のD滑走路です。滑走路を増やすことで便数を増やせるようになったことから、羽田空港には国際線の定期便が開設され、同年に24時間利用ができる国際線ターミナル(現在の第3ターミナル)も作られました。
成田・羽田の使い方が大きく変わったのは、アジア地域の他空港が充実した国際線ネットワークを構築しつつあったためとされています。韓国の仁川国際空港やシンガポールのチャンギ国際空港などがこれで、乗り継ぎ需要を確実に取り込んでいたほか、周辺住民の反対などから成田空港ではできない24時間運用も可能でした。そのため、2空港で国際線需要を逃さないようにする狙いがあったと見られます。
それから多くの国際線が羽田空港に移管されます。たとえば、かつて成田空港をアジアの拠点としていたノースウエスト航空の系譜を組むデルタ航空は、2020年3月をもって成田空港から撤退し、東京路線は全便羽田発着へと変更しています。
その一方で「ほぼ国際専用空港」だった成田空港その後、新規就航のハードルが羽田より低いことなどから、新たな需要の取り込みを実施。国際線でもインバウンド(訪日旅行者)向けのLCC(格安航空会社)によるレジャー路線を担当することが多くなっています。また、国内線でもLCC便が多く就航しており、たとえばジェットスター・ジャパンなどは同空港に拠点とし国内11都市へのネットワークを持っています。
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